藤井真則のブログ

このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHP(リンクをお願いします)をご覧ください。
本ブログは、あまり標準的ではない特殊な治療の普及にあたり、「常識の壁」を破るために、特に分野は特定せずに書かれたものです。「常識とは、ある特定の組織・勢力の都合により強力に流布されて定着したからこそ、常識化した不真実であることが多い」という前提で書かれています。

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2009年01月08日

  

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2009.1.8.
 
 
勝海舟率いる咸臨丸が、米国を訪問しました。
幕府は、米国こそ、日本にとって将来、
最大の敵となると見込んでいました。
 
太平洋を西に渡り、必ず攻めてくる、と。
 
咸臨丸一行は、米国視察において、
その強大な工業力を目の当たりにしますが、
何よりも重要な目的は、南北戦争の
動向調査です。 「黒船」を率いて日本を
威圧したペリーやハリスも、南北戦争当時、
北軍の艦隊司令官として、南軍と戦っていました。
 
勝海舟は、北軍の海軍部隊は、「忙しい」と
判断します。 ならば、その隙に!
日本へ帰国次第、咸臨丸は、直ちに再出撃、
小笠原群島を占領してしまいます。
 
当時の常識として、領土とは、「見つけたもの勝ち」でした。
見つけた欧米人のもの、という意味です。
そこに、欧米人以外の誰が住んでいようが、
彼らには関係ありません。
小笠原群島は、欧米各国が、「発見」したり、領有を宣言したり、
移民を送りこんで、「住民」が住み、領主もいました。
特に、米国捕鯨船団が基地として盛んに活用していました。 
彼らは、鯨を片っ端から殺しては、ズタズタに切り刻み、
大鍋で煮て浮いてきた油をすくとります。
単に、油を取るためだけに、鯨を絶滅に追い込んだのです。
ボストンの旧捕鯨基地跡を訪問した際、往時の写真や、
パノラマモデルが飾ってありましたが、まあ、よくあそこまで
やれるもんです。
 
 
これは、非常に、「ヤ バ イ」状況です。
 
地球儀を見れば分かりますが、小笠原群島は、日本本島に
食い込む匕首のような位置にあります。 ここに基地をつくって、
艦隊を常駐されたら、戦う前から負けたも同然です。
 
そこで、南北戦争のドサクサに紛れて、また、他のヨーロッパ諸国の
艦隊も、それぞれに、忙しかったので、鬼の居ぬ間に、
コソッと、占領してしまったのです。
 
ちなみに、この小笠原という名前、これは戦国時代、
武田家と徳川家の間で、どっちにつくのか、常に双方から
圧力を受けた名門、小笠原家に由来します。
語るも涙、数奇な運命に翻弄される一族の因果、
最後は、一族の念願をかなえ、古代からの領主である
小笠原の名前を復活させた、、、、 という話があるのですが、
どうやら、幕末、話を完全にでっち上げたようです。
 
これ、一歩まちがえれば、欧米列強の領土を勝手に占領という
とんでもない大事となります。 幕府はすっとぼけて、
「え? だって、昔から、あの辺の島々は小笠原家の領土だし、、、
名前だって、そういうんですよ、ずっと昔から、そういう名前なんです、ええ」

そして、さっさと、「昔からの固有の領土」に、移民を送り込みます。

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