藤井真則のブログ

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2016年12月31日

  

えとせとら

日本人の魂シリーズですが今回は、日本に渡ってきた倭人について大陸で何をしていたのか、という番外編です。

 

 

西域より中国へ侵攻した秦の始皇帝軍団は猛威を振るい中国各地で片っ端から人々を捕まえては食糧としてしまいました。

 

遊牧民は匈奴として結集しこの軍団を跳ね返しますが騎馬隊をもたない倭人などは抗すべくもなく、圧倒されてしまいます。

 

一部は、西日本を荒らしまわり濃尾平野より西にいた縄文人を「消滅」させました。

 

元祖倭人は、一部は、そのまま山中に潜みあるいは、揚子江を下り、沿岸部に広がり始皇帝のペルシア式戦車軍団が動きにくい地域へと逃げ延びていきました。

 

この時期、中国の人口が一桁減ったとする説もありますが、もちろん正確に調査することは難しいものがあります。

 

一方、倭人は巧妙な生き残り策を弄します。秦の軍団に協力するのです。

 

こうして、秦の支配下として臣従する者も多数でてきました。

 

さて、召集令状をもらってしまった倭人で、名前もよくわからないのですが「劉さんちの小倅」と呼ばれていた人劉李さん。 「りゅうい」と読みます。 李は「イ」と発音し、末っ子という意味です。 この人、任地に急いでいました。 ところが、どうにも間に合いそうにありません。 刻限に遅れれば、即、処刑です。

 

始皇帝軍団の石臼で潰されミートボールにされたくない人々はせいぜい、十数人だったとされていますが劉李さん以下、みんなで脱走を図ることとし山中へ逃げ隠れします。

 

急激な寒冷化による悲惨な食糧危機の時代。文字通り、食うか食われるかの時代。生きていくのは容易ではありませんが。どうせ、殺されるのなら、今日、1日でも生き延びた方がいい、、、

泥棒集団と化した劉さんちの小倅たちは食糧を盗み、自分たちより弱い者を襲い、どうにか飢えを凌いで、生き延びました。

 

ところが、秦の軍団は、あっという間に衰え、残党や劉李さんみたいに召集された者たちが軍団や、役人をやってはいましたが、猛威をふるった勢いは消え失せ各地に反乱の火の手があがります。

 

寄せ集めの盗賊集団同士が互いに結託し、力を合わせて、秦の遺産をわが物にしようと徒党を組み始めました。

 

劉李さん、特に屈強でもなく、特に軍略に知恵が働くわけでもなく、これといって優れた能力があったわけではないのですが、少なくとも、人の話を聞く姿勢がありました。そして、この状況では、誰の意見を聴くのがいいのか、見極める才覚がありました。 あれよあれよ、という間に、泥棒集団の棟梁に祭り上げられた劉李さん、いつの間にか軍団総司令官となり、秦の都を陥落させてしまいます。

この寄せ集め軍団、その後が大変でしたが、数々の危機に常にうろたえ、どうすれがいいのかを周囲の人々の意見にすがる劉李さん。どうにか生き延び、中国全土とはいきませんが、そこそこの大国を作り上げます。

 

劉李さんが真価を発揮するのはここからです。

 

大嫌いだった儒学者を登用。

個人的には嫌いでも、国を動かすのに役に立つと割り切ります。 王様から奴婢まで、徹底した身分制度を敷き身分毎に、なることができる官位や役職を細かく決めます。 官位毎に、服装も細かく規定し、色をみただけで身分や刑事系の人なのか、軍人系なのか、財務関係なのか、外見で、パッと分かるようにします。

政務の手続きや、儀礼、書式、文書による記録を徹底し、書簡による証拠、辞令の発動、刑罰、資産管理や戸籍管理に徴税など、徹底した文書化された法令をつくりあげさせます。

 

こうした行政手続きを遂行する儒学の心得ある若者を試験によって採用し、学力があれば、重く用いる一見、実力主義のような仕組みをつくりますが、そもそも、貴族階級に生まれていないと、どんなに学問ができても、高位は得られません。 あくまで、身分制度の枠組みの中での同一身分内の自由競争です。

 

有力な王に人々が集まり強力な集団を形成しても中々、後が続かない時代。王が変われば、一気に国力が萎えてしまいます。

 

誰が王でも関係なく維持されるシステムをつくりあげた劉さんちの小倅さん。困ったことがありました。

 

昔ながらの盗賊仲間や親族、つまり劉さんちの一家とその親戚が宮殿を徘徊し、よう!劉さんちの小倅よ! と なれなれしく声をかけてきます。 そこで、抜本的な解決を図ります。 昔の仲間を集め、一斉に処刑したのです。

 

こうして、身寄りも、仲間も全てを排除した劉さんちの小倅は、名前を変えることにしました。

李(い)では、まずい。。。

 

 

 

国という意味の「邦」という字に変えて「劉邦」 これならかっこいい!

 

 

もっとも、その後、王家の血筋の者は「李」(イ)氏を名乗り、文字としては、「井」となったり、とにかく、「イ」の音をあらわす文字を用いるようになり、これに別の文字を加えて二文字苗字にしたりして朝鮮半島や西日本など、彼らの経済的な中心地に勢力を伸ばしていきます。

 

 

こうして、倭人のコソ泥、劉さんちの小倅は大漢帝国の高祖 劉邦として歴史に名を残しますが歴史に名を残すのは簡単なことです。

 

歴史を書いてしまったのですから。

 

それまでの時代、誰が何をやろうが、いちいち自分がやりました! という主張などしません。

 

フェニキア人が歴史をつくり、ギリシア人やローマ人が自分たちがつくったことにした「歴史」を編纂したように大漢帝国とその末裔たちは、ひたすら漢字を用いて歴史を編纂し続けます。 もちろん、自分たちに都合よく。

 

本当のことが書いてある書物は焼き、本当のことを話す儒学者も焼き、これを焚書坑儒といいますが、徹底して都合よく書きあげた歴史書だけを正しいもの、「正史」とし、他は排除します。

 

また、漢字をつくったんだから、「漢」なんだ、と。

 

今でも、「夏」という文字や音、名称は、中国や台湾では大変、尊ばれますが、自分たちは、漢字を発明した古代「夏」王朝の末裔なのである、という話を主張し続けてきました。 特に証拠があるわけではありませんが、そういうことにしてきました。

 

 

こうして、揚子江中流域の棚田でジャポニカ米を栽培する首狩り族、倭人。 一部が西日本を席巻する弥生となった倭人は、大陸でも、主に沿海部に広がり、その中からコソ泥集団の棟梁、劉さんちの小倅が、高祖 劉邦 と名を改め大漢帝国の創始者となりましたが、この国、匈奴にボロ負けし、劉さんちの小倅の奥さんを差出して何とか、許してもらい、それが恰好悪いものだから、今度は朝貢貿易という概念を発明します。 自分たちが「上」だから、「品」をくれてやるのだ、という考え方です。 漢倭奴国王印なども、上から目線のくれてやる物、ということです。

 

匈奴の属国として、奥さんまで差出し、匈奴の後ろ盾を背に周辺の国々には、威圧的な態度を取りつづけます。

 

やがて、抵抗運動として立ち上がった集団の中から高句麗が生まれ、この高句麗の徹底抗戦により国力が疲弊した大漢帝国は、3世紀の初めにはあっさり滅びます。こうして、弥生の日本侵攻はパタリと止まりました。

 

案外、短い歴史に終わった大漢帝国ですが彼らの発明は世界標準となります。

 

官僚機構です。

 

 

彼ら自身も、官僚として、生き残り次々に生まれる国の官吏として、国政の実務を牛耳ります。漢民族が自ら王位につく国としては、その後、大明帝国が中国全土を統一しますが、それ以外強勢を誇る国はでてきません。

 

中国地域に誕生したほとんどの王朝が遊牧民の系統ですが、彼らは、同族集団として動いてきた歴史が長く、戦争以外に、異なる同族集団と和合する習性がありません。戦時は強いのですが、国を建てた後が問題です。

 

そこを宦官が狙います。

 

漢民族にとって、「王」とは狙うもの無力化するものです。

 

秦の始皇帝暗殺という映画には巨額資本が集まりますが始皇帝という映画は案外、メジャーになりません。人食い泥棒集団の物語である「水滸伝」は人気を博します。日本語訳では、和らげた表現になっているものが多いようですがひたすら、人を食べるシーンのオンパレードのものもあります。三国志も、王様が偉いというより、有力な武人の物語であり、そもそも、歴史小説であって、史実ではありません。

 

王を暗殺する刺客こそ、漢民族最大の英雄です。次の英雄は、「泥棒」です。 「盗石」という大泥棒の親分は特に人気があります。 孔子の10番弟子を捕えて、お寿司(酸)にしてしまった人物で、以来、孔子自身も、お寿司を食べなくなったという逸話がある人物です。

ちなみに、孔子は、「上腕筋」が大の好物であったとされています。 この盗石こそ、実質的な漢民族の始祖なのであるという意見もあるようです。

 

中国の歴史の中で、漢民族の王様の名前を挙げられる人はなかなかいないと思います。たとえば、隋の煬帝は、鮮卑(ソンピー)族という遊牧民です。清の高祖ヌルハチも遊牧民です。

 

 

王に率いられた遊牧民の王朝と、膨大な人口を管理する官僚機構により、実質的な国家権力の収奪を目録む漢民族。両者の戦いは、その後、2000年にわたって、続くことになります。

 

 

 

 

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