藤井真則のブログ

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2018年03月18日

  

えとせとら

2018.3.19.

 

 

前回からの続きです。

 

 

 

 

 

陸軍の東条英機はあくまで

対米開戦反対派でした。

 

米国との戦争を始めようと

ハワイ空襲の準備を進める海軍は

何とか東条英機を説得しようとします。

 

陸軍としては最精鋭部隊三十数万の軍勢を

満州の関東軍に派遣しており、これが

やはり最精鋭のソ連極東シベリア方面軍三十数万と

対峙していました。

 

この最大の脅威に加え

中国国民党軍との消耗戦という

二正面作戦の上に南方資源確保の

部隊を転進させ、インド洋で英連邦

さらにその上、太平洋で米国と

戦う、いや勘弁してくれ

世界を相手に戦争しろというのか、と。

 

そうです。

世界大戦ですから。

 

第二次世界大戦というのは

世界を二分して凌ぎ合った戦いではありません。

日独伊三国の資源もろくにない弱小国を

中心に数か国が加勢する枢軸側の国々を

世界中の大国がよってたかって袋叩きにした

集団私刑(リンチ)です。

 

しかし、東条英機さん、欧州ではドイツが

頑張っているぞ、これなら何とかなると

思わないのか。

 

ドイツ軍は、あっという間にオランダ、ベルギー

フランスの半分ほどを占領しました。

 

これには裏があります。

 

連合軍総司令官ペタン将軍が

マジノラインを死守せよ、と

命じました。

この将軍、第一次世界大戦の折

ヴェルダン要塞の司令官でした。

世界史の教科書にも載っている

独仏両軍、数十万の将兵が命を

落とした要塞攻防戦。

吸血ポンプの異名をとる

有名な要塞の司令官でした。

 

マジノラインは第一次大戦後

次の大戦の際にドイツ軍の侵攻を

防ぐために延々と築かれた世界最大の

要塞線ですが、政治的な理由があって

ベルギー・ドイツ国境は切れていました。

まあ、戦車は通行不可能とされた

アルデンヌの森を通らないといけないので

ドイツ軍はそこからは来ない

伝統的シュリ―フェンプランにより

オランダの海岸地帯を一気に突破しようと

する、と踏んでいました。

 

ところが、ロンメル将軍率いる第七機甲師団は

ソ連がくれたポンコツ戦車ではなく

英国チェンバレンの贈り物、

優秀なチェコ製プラガ38T戦車で

編成されていました。

ドイツ再軍備のため

英国がチェコスロバキアに圧力をかけ

チェコとスロバキアよりなる同国のチェコ部分を

ドイツが領有することを認め

ドイツは当時の先進工業地域であったチェコ

ズデーデン地方をパックスゲルマニカに加え

念願であった有力な戦車メーカーや

火砲メーカーを手にしました。

38T軽戦車は当時もっとも

バランスがとれ、機動力の高い優秀な戦車で

通過不可能といわれたアルデンヌの森を

難なく超え、マジノラインの背後に回り込みます。

 

それでもあくまでマジノラインを死守せよとした

ペタン司令官の命令により、ドイツ軍を

圧倒する重戦車部隊を擁する英仏蘭ベルギー

連合軍は補給線を切られ、あっさり壊滅

このまま捕虜になるものか、と

英軍数十万の将兵はダンケルクへ殺到し

なぜか攻撃してこないドイツ軍を

訝しがりながら、早々と本国へ引き上げていきました。

 

ペタン将軍は、直ちにヴィシーにペタン内閣を

起ち上げ、ただドイツの意向に従う傀儡政権

ヴィシーフランスの国家元首となり

日本軍のフランス領進駐を黙認します。

 

日本軍が仏印へ進駐、米国を強烈に刺激し

ABCD包囲網発動に至ったころは

英本土航空決戦が展開されドイツ軍は苦戦を

強いられます。 英本土上陸作戦を諦めた

ドイツ軍は、翌年1941年夏

日本が対米開戦の半年前に

突如、ソ連国境を突破します。

 

ソ連は独ソ不可侵条約、日ソ不可侵条約により

枢軸側とは不戦の構えでした。

 

それどころか、独ソ両首脳は蜜月関係と考えられていました。

 

純潔アーリア人を理想とするドイツ指導者は

アーリア人の故郷であるグルジアに執着し

(今日ではジョージアといいますが)

グルジア人スターリンとも親密に交流していました。

 

スターリンはドイツ軍の主力戦車となる4号戦車をはじめ

1号~4号戦車をプレゼントしたばかりでなく、

故郷グルジアの地をドイツ軍に解放します。

そもそもヴェルサイユ条約によって再軍備が禁止

されていたのですから、ドイツ軍は存在しないはずでした。

おおっぴらに訓練できないドイツ軍のために

訓練地を提供したのです。

ここでドイツ軍は、後ろ半分がキャタピラで

路外走行が得意なハーフトラックの荷台に

歩兵を10人ほど載せ、車上から機銃を撃ちまくる

機械化歩兵部隊と、重火器の抵抗を即座に排除する

急降下爆撃機の空陸一体作戦を完成させ

大軍同士が塹壕を掘って睨みあう「会戦」ではなく

戦線の一か所を突破すればそのまま敵陣後方深く

突入し、退路と補給路を断つブリッツクリーク

(電撃戦)のスタイルを確立します。

戦車が戦場の主役として戦車同士が派手に撃ちあうのは

大戦後期になってからのことでした。

戦場の花形はハーフトラック搭乗歩兵であり

戦車がでてきたらハーフトラックが牽引する

高射砲を水平に撃って排除し

戦車は基本的に歩兵支援に回る補助的なものという

考え方でした。

 

ドイツはソ連首脳部に対し

親切にもお宅に大規模なクーデター計画があると

教えてあげます。

これに感謝したスターリンは

軍の中堅将校など数千人を粛清します。

こうしてソ連軍は弱体化しているはずでした。

 

ところが智将ジューコフ将軍率いる

最精鋭部隊は最高のスタッフと最高の装備を

集め、極東シベリア方面軍として

ドイツから遠く見えないところに

温存していたのです。

 

また、スターリンは、ドイツがグルジアへ侵攻してくること

当然、隣のアゼルバイジャンも狙ってくると読んでいました。

グルジアには戦略的価値はありませんが

アゼルバイジャンは世界最大にして、世界の原油生産の

3分の2を占めるバクー油田があります。

 

スターリンはアゼルバイジャンのロスチャイルド製油所に

勤務する石油精製プラントのエンジニアでしたが

ライバルのダイナミックノーベル社がダイアトマイト(珪藻土)に

ニトログリセリンを吸着させて安定化したダイナマイトを発明し

油田火災を吹き飛ばして消火するのをみて(ノーベル賞の原資に

なります)、この新発明の用途開発を思いつき

レーニンやトロツキーの勢力を次々に吹き飛ばして

政権を奪った人物です。

ドイツ軍がグルジアを占領するのはやらせておきましたが

アゼルバイジャンに侵攻してくると高性能なT34戦車を

大量投入してドイツ軍を壊滅させます。

油田は渡さん、と。

 

ソ連という国は飢餓輸出により国民が食べるべき食糧を

大量輸出し、得た外貨で工業技術を買い、産業化を

進めたため、2000万人もの国民が餓死したと

言われています。その後の「大粛清」や

「大祖国戦争」(第二次世界大戦のソ連側呼称)でも

概ね、2000万人ずつほどが命を落とし

更に戦後の大粛清でも相当数が命を落としたと

されています。数字はあてにはなりませんが

国民の命はあまり顧みないのが政権の伝統でした。

 

ドイツ軍に侵攻されてもしばらく好き放題に

進撃させておきます。

主力T34戦車は基本的に温存です。

 

国境付近では100万人のソ連兵が捕虜になりました。

 

ドイツ軍の快進撃をみるにつけ、

東条英機もこれならいけるか、、、、と

心変わりを始めます。

 

ならば、一緒に対米開戦へ突っ走ろうと

遂に海軍の説得に応じ、欧州でのドイツの

圧倒的勝利を前提にいきなり米国を殴る

ハワイ空襲によって、ど派手に対米開戦の

封を切ることにも同意してしまいます。

 

ソ連諜報機関はスパイ「ゾルゲ」を中心に

陸軍によるソ連侵攻はないと確信を得、

海軍の暗号表を盗み出し、米国に提供。

米軍は日本海軍の暗号をパープルブックと

呼んでいましたが、表紙が紫色であることを

知っていました。一冊もらっていたからです。

 

米軍は日本陸軍の単純な暗号を終戦時まで

解読できませんでした。 4000語よりなる

はるかに複雑な海軍の暗号を解読していたのは

暗号表をもらったからです。

まずいことに外務省が海軍の複雑な暗号を

用いることがあり、日米交渉に関する

駐米日本大使館と本国とのやりとりは

筒抜けでした。

ワシントンは、日本軍の行動予定を知っていました。

ソ連はハワイ北方に艦隊を派遣。

情報収集艦2隻が各々、日本の空母機動部隊を発見します。

ハワイに危機が迫ることを知っていたソ連も

そしてワシントンも、ハワイの現地司令官には何も

知らせず、奇襲によってとことん犠牲になることを

求めたのです。 そのころ、ヨーロッパへ

転戦した当時の世界最強の地上部隊である

ソ連極東シベリア軍はドイツ中央軍集団を壊滅させ

東条英機が拠り所とした欧州におけるドイツ軍の

圧倒的な勝利は一方的な敗北へと変した状況の下

日本は米国の本格的な参戦を招いてしまったのでした。

 

 

(続く)

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