藤井真則のブログ

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2018年11月28日

  

えとせとら

黒船来航時には既に討幕ネットワークは動いていましたが、明治元年、鳥羽伏見の戦いに至るまでの15年間の流れをみると、鍵を握るのは「海軍」です。

 

「海防建白書」奏上 海の守りを固めましょう、と当たり前のことを言ってはいるのですが。

 

黒船+2年) 長崎海軍伝習所開設 全国からエリートが集まりますが、討幕ネットワーク構築の一大拠点となります。アヘン戦争で英国の「えげつなさ」を見たということと永年の貿易実績ということでオランダ人を中心とする教官団が操艦、砲術、造船、造兵や基礎学問や遠隔地との交信、信号文の作成や読解など、組織構築と運営、諜報戦のイロハも教え込みます。 蘭領インドシナでは飢餓輸出、現地食糧を生産すべき労働者に工芸作物の量産を強要し住民が飢餓に苦しみ、抵抗する者は容赦なく弾圧したオランダ人がなぜ英国人より信用できるのか。 オランダを代表する人物が数十人規模で送り込まれ、徹底した「教育」を実施します。彼らが善意から日本の未来のために学問を教えてくれたのでしょうか。   

 

そんな甘い話は絶対つけてもないと思います。

 

佐賀鍋島家は長崎と同様の伝習所を独自に作ります。薩長土肥といいますが、肥はもっとも多くの人材を討幕活動に投じます。明治政府設立後ほどなく佐賀の乱にて大半の関係者が反乱の濡れ衣を着せられ即決裁判で即刻大量処刑され、大河ドラマ等の「歴史小説」にはあまり肥前の活動家は登場しません。

 

伝習所開設3年後、安政の大獄開始、翌年には伝習所閉鎖、徳川海軍はフランス軍の教官(同じ穴のムジナ)へ切換えます。翌々年には桜田門外の変。 更に3年後に薩英戦争、翌年に神戸海軍操練所開設、討幕派の一大拠点となりテロ活動などが活発化し関係者が禁門の変を起こし、馬関戦争、長州征伐と激動の年となり翌年、操練所閉鎖、更に翌年には第二次長州征伐となり14代将軍、孝明天皇の急逝、解兵後1年で鳥羽伏見の戦いです。

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