藤井真則のブログ

このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHPをご覧ください。
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2017年08月04日

  

えとせとら

2017.8.4.

 

 

 

「意識」の発生について

説明するのは、むちゃくちゃ面倒、

たとえば、、、 というところで

前回は終わっています。

 

 

意識は、「観察者」です。

 

観る意識、なわけで

意識自体のことを考えるとなると

普段、観ている側の意識が

今度は、自分を観られる対象として、、、

と、まあ、いきなり面倒になるので

まず、シュリーマンの話から。

 

 

トロイを発見するんだ、と

調査に取り組むシュリーマンは

ボロクソに誹謗された、と

言われています。

 

いつの時代も、標準的なものを正しいとする人々は

標準的でないものがでてくると、ボロクソに誹謗する

という基本はかわらないようです。

 

 

何が標準的ではなかったのでしょうか。

 

シュリーマンは、

「神話」に描かれている世界を

「ほんとうにあったこと」と捉え

神話の物語に登場するトロイを実在する

遺跡として発見しよう、としました。

そのため、神話などは、

おとぎ話だと一笑に付してきた

「専門家」の方々の覚えがめでたく

なかったわけです。

自分たちが、「正しいんだ」としてきた

拠り所が崩壊することに、恐怖を覚え

既存の概念を崩す新説には、反射的に、

弾を撃ち込む基本動作が身についています。

 

今の時代も、この手の「意識」は

全く変わっていません。

 

実際、シュリーマンの時代の意識と、

現代の意識には

それほど大きな違いはありません。

 

むしろ現代人より、当時の人々の反発の方が

強かったのかもしれません。

 

現代人は、トロイがあったことは知っています。

また、ハリウッド映画で、神話の世界を

「観て」います。もちろん、特撮やCGですし

映画の中の世界だと思ってるわけですが、

ともかくも、イメージとして記憶にあります。

シュリーマンの時代は、お話でしか

文字の中の情報でしか、

あの荒唐無稽な神話の世界を知りません。

あんなトンデモな話が、実際にあったわけはない

という抵抗感は、もっと強かったかもしれません。

 

 

現代人は、映画の中の世界はつくりもの

と思っていても、映画は実在すると思っています。

 

ところが、観客が観ているのは、ほとんどが

真っ黒なスクリーンに過ぎません。

時折、一瞬、「静止画」が現われています。

 

エイゼンシュタインは意識の働きを研究し

結構、いい加減で、適当に働くもの

わずかな情報を拾って、あとは、適当に

イメージを広げるものと見抜き

1秒間に24枚の静止画をみせ

あとは、真っ黒にしておけば

あたかも、動画をみているように

勝手に錯覚する現象を利用し

「映画」を発明します。

 

現代人は、意識で「観ている」世界が

実在する世界と思っていますが

観ている世界は、実は、現実の世界と

かなり違っています。

意識は、相当なレベルの

「画像処理」をしているからです。

 

 

またもし、観えないものがどれほど存在していても

現代人の意識では、観えないものは実在しない

となります。

 

幽霊がいるとかいないとか

議論にはなりません。

観た人にとっては、いるんです。

そんなのは錯覚だと、観たこともない人に

いくら言われても、いいや、間違いなく観た

それだけが、観た人にとっての事実です。

科学的にあり得ないという言い方をする人が

いますが、それは科学を知らない人の物の言い方。

科学は、観測してなんぼ、ですから、観測対象に

ならないものは、「扱えない」のです。

ですから、写真に写ったりすると

研究できなくもないのですが

たまたま何かの時に写ることもあるかも

しれない、その時は、厳密な実験環境ではなく

本当に、写るはずのないものが写ったと

検証するだけの詳細条件が不明、、、

これでは、研究になりません。

ある程度のことがわかって、条件を

絞れるようにならないと

はい、じゃあ、写ってくださいね、

と、実験することもできません。

つまり、科学の研究対象外ということになります。

 

科学的に肯定もできないし

否定もまたできない、ということです。

 

じゃ、観たことない人。

そんなもん、いるわけないと

笑ってごまかす人は沢山いますが

一発で、ごまかしを吹き飛ばし

作り笑顔を硬直させることができます。

 

では、真夜中、お一人で、青木が原の樹海に入り

朝まで、誰とも話をせずに、過ごしてください。

携帯、スマホ、PCなど、外部と交信できるものや

音楽などを聞けるものはすべて持ち込み禁止です。

 

今まで、実行した人は誰一人いませんでした。

私以外には。

 

だって、そうですよね。

幽霊いない、と断定されるなら

じゃ、やってみれば、と。

いない! んでしょ。

じゃ、やれるはずですよねえ~~~

 

みんな怖いんですよ。

 

じゃ、なんで怖いんですか。

いないと断定しているのに

なぜ、怖がるんですか。

なぜ、を問うのが「科学的」な姿勢です。

 

ちなみに、絶対に一人で

真夜中の青木が原の樹海には

入らないでください。

 

私も死にかけましたので。

 

 

 

で。再び、シュリーマンへ。

 

 

シュリーマンが実際にみつけたのは

神話にでてきたトロイの神殿跡とか

トロイの木馬の破片ではありません。

 

遺跡は、何層にも重なっています。

人類最古の都市であるエランの都を

実際に発掘する調査に加わった

アゼルバイジャン人に、

直接、聞きましたが

いや、大変だった、と。

都市の跡の上に、また都市を築き、36層もの

都市遺跡が重なっていて、1万1千年前というのは

36層の最下層のもので、掘ると、その前の遺跡を

破壊するため、調査は時間がかかるし、ものすごく

面倒なんだ、と。

 

シュリーマンは、こうしたミルフィーユ状遺跡の

在りかを発見したのであって、詳細な調査は、

別の人々の手で行われます。

 

こうなると、俄然、再注目されたのが

ホメロスの叙事詩です。

 

難解で、他愛もないおとぎ話と

考えられていたホメロスの叙事詩に

登場するトロイが、実在したとなると

じゃ、あの訳がわからん叙事詩に

書かれていることは、どこまでが

事実なのか、と。

 

 

ホメロスの叙事詩は、普通に読もうとすると

読めません。 誰が、話をしているの、、、??

主語がようわからんのです。

アキレスという英雄がでてきますが

どうもアキレスは一人ではないような。

 

どうやら、登場人物の頭の中に

登場人物本人らしき、今一つ意志の弱い

意識のようなものがあり、それよりも

もっと強い意志をもつ別の「誰か」が

入り込んでいて、本人の意識と対話を

しているようなのです。

今なら、漫画などで、もう一人の自分が

いっちゃえ! と囁くのです、、というような

ものがありますが、ホメロスの叙事詩では

本人の意志は曖昧です。

 

なぜ、このような難解な表現法をとったのか。

 

意識の研究の専門家は明解に答えました。

 

この通りの状態で生きていたのです、

当時の人々は、と。

 

叙事詩がいつ書かれたのか、

叙事詩に登場する物語の登場人物は

いつの時代の人なのか、正確には

わかりません。

 

どうやら、意識は芽生えたものの

まだまだ、自分の意志は強くなく

別の何かの意志で動いていた

ということです。

 

物語では、別の意志というのは神々という

ことになりますが、アテナイの神の守護を得た人は

主にアテナイの神が語りかけてきます。

 

この神というのが、とんでもない「ワル」どもです。

 

一番美しい人へ と書かれた投げ込みをみて

自分が一番美しいと思う女神が大ゲンカをはじめ

それがきっかけで、大戦争が起こる、、、

も、ええかげんにせえ、という勝手我儘し放題の

デタラメな神々に、人々は翻弄されるのです。

この辺り、最近のハリウッド映画では

余りにも神々は勝手なので、人間は怒りを

抑えきれず、神々に対して反逆を始めた、、、

というような表現が目につきます。

 

アキレスとヘクトルの決闘

 

など、英雄は登場するのですが

この物語に登場する人物は、ほぼ

例外なく、ろくな最期を迎えません。

 

神々の戦争だったのです。

ところが、自分たちでやらないで

人間同士を戦わせて、戦争をさせた

神々が、実際の人間を使った

戦争ゲームを楽しんだ、

それが、トロイ戦争だった

という物語です。

そして、神の加護を受けても、

敵も別の神の加護を受けており

神様の言う通りに動いて

実際には、言われた通りにはならないどころが

逆に、敵側の神の策謀にはめられ

次々に倒れていく人々。

神々の争いは収まらず

延々と、ドロ沼が続きます。

負けた側は悲惨ですが、

勝った側も

末路は哀れです。

散々、戦争の道具としてこき使われた

人間は、戦争が終われば、ポイッと

捨てられたのです。

 

トロイ戦争は、「戦争のはじまり」と

されています。

 

トロイ戦争より前にも、集団戦なり

戦争と呼べるような戦いはあったようですが、

歴史にはっきりと記述された戦争であり

そして、人間が、戦争を覚え

今度は、勝手に戦争を始めるようになります。

 

目的意識のない人々が、戦争のやり方を覚え

ただ、戦争をするために戦争をする、

でたらめな神々が引き起こす戦争よりも

更に、たちの悪い戦争の時代のはじまりです。

 

 

クラウゼヴィッツの戦争論 最終章

 

古くなってしまった兵法書ではなく、

現代においても十分、通用する

基本的な戦略論として

まだまだ価値のある本です。

最終章が、完成する前に、

病死したため、今となっては

結論について、推測するしかありません。

 

完成しなかった最終章のテーマ。

人はなぜ、戦争するのか。

戦争がない時代は実現できるのか。

 

人はなぜ戦争するのかは

巻頭に書いてあります。

 

 

「敵は攻めてくる」

 

と思っているのです。

 

どうせ攻めてくるものなので

先に攻めて、やっつける、のです。

人類とは、戦争をする存在

という前提になっています。

 

 

トロイ戦争で、性悪な神々に

刷り込まれた戦争の恐怖と

戦争のやり方は、

今も、人類の意識の中に

存在し続けているのです。

 

 

ヨーロッパでは、神話は

立派な「歴史研究」の研究対象です。

 

日本では、なんとなく、おとぎ話か

SF映画や、ゲームのネタです。

 

 

神話の世界の人々の意識の研究成果についてだけ

書いてしまうと、日本人にとっては、ずいぶんとまた

現実離れしているな、、、 という印象かもしれません。

 

 

「意識」という言葉は、古代には

存在しませんでした。

なぜ、言葉がなかったのかというと

「意識」はなかったから、

と考えられています。

 

少なくとも、現代人の意識に相当するものは

なかった、ということです。

 

「意識」という言葉は、

デカルト からです。

 

デカルトの時代に、

突然、意識が生まれたのではありませんが

それ以前と、以後では、意識の性質に

大きな違いがあるようです。

 

そのあとは、今日まで、そう大きく

変化していない、ということです。

 

 

意識は、どう変遷していったのか、

現代につながる話は、

(続き)とさせていただきます。

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