藤井真則のブログ

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TOP > 明治維新の実態(5) 切り札英艦隊を動かす予算

2018年11月17日

  

えとせとら

明治元年となった鳥羽伏見の戦いは大阪湾に英艦隊等が砲口を並べた状態で天下を分ける決着をみました。艦隊が居座っていた口実は「兵庫開港の要求をスムースに通すための演出」つまり「脅し」です。

 

神戸は世界的な貿易都市に発展しますが、江戸時代には割と閑散としていました。

(明治元年の4年前) 神戸海軍伝習所開設、周辺施設への投資も集中しわずか数年の間に急激な発展をみます。後々、外国人居留地を始め神戸は欧米との重要な玄関になります。この伝習所、勝海舟や坂本龍馬を中心に全国から討幕派の荒くれが集まり、なんで徳川海軍の拠点に討幕派が集結しとるのか、と翌年には早くも閉鎖されます。特に伝習所に出入りするメンバーや親交が深い長州人が禁門の変を起こします。尊王攘夷と言いながら御所に砲弾を撃ち込んだわけです。流石に放置はできず勝海舟は罷免されます。 伝習所は徳川家の施設でありながら、周辺施設を含め活発に投資を行ったのが福井松平春嶽でした。討幕のうねりを盛り上げていく重要拠点でもあり、欧米列強が強く要求した主要港でもありますが、金の流れは討幕派首謀者の一人春嶽率いる福井松平家でした。資金源はグラバー等がもちかけた特産品の輸出ビジネスです。

 

禁門の変に続き諸国艦隊と毛利家の間に馬関戦争勃発、前年には薩英戦争です。この頃から活発に英東洋艦隊が日本をうろつきまわり、徳川政権転覆の山場では大阪湾に集結しました。

 

世界中に植民地を広げた大英帝国では軍事費は税金、権益は東インド会社、これはけしからん、と議会が紛糾しビジネスモデルの修正を求められていました。そのため日本侵略のために英東洋艦隊を動かすには自前の予算を確保する必要がありました。島津家と毛利家が相次いで列強を挑発、軍事力の行使に発展しましたが、莫大な賠償金を徳川家に払わせます。 攘夷って言ったの徳川だから、我々は言うこと聞いただけなので徳川が払うべき、と。

 

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