藤井真則のブログ

このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHPをご覧ください。
本ブログは、あまり標準的ではない特殊な治療の普及にあたり、「常識の壁」を破るために、特に分野は特定せずに書かれたものです。「常識とは、ある特定の組織・勢力の都合により強力に流布されて定着したからこそ、常識化した不真実であることが多い」という前提で書かれています。

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2020年05月24日

  

えとせとら

コミック版の累積販売部数6000万部突破の超人気漫画「鬼滅の刀」の連載が終了になり話題になっています。まだまだ人気上昇中で、秋には劇場版アニメ映画を公開予定、TVアニメ版もシーズン2の放送中です。このタイミングで敢えて連載を切り、今後は、サイドストーリー等を小出しにやっていくようです。 

 

6000万部といっても20巻ほどありますから全員が全巻買ったとすると300万セットという計算になり、日本人ならみんな読んだ、とか誰でも必ず知っている、というレベルには遠いですが、それでも6000万という数字は有無を言わさぬ迫力があります。

 

これほどのヒットとなると、なぜここまで人気があるのか、と多くの人がコメントをされます。誰がどう考えてもアニメの出来栄えが素晴らしい、これは全員一致レベルです。もし、まだ観たことない、そんな人気なら読んでみるか、と思われた方にはTVアニメ版をお勧めします。まだ完結してませんが、シーズン1ならアマゾンプライムで無料で見れます。この作品では人食い鬼と、鬼を殺そうとする剣士たちの戦いの場面が多く描かれますが、鬼も剣士も術を使うようながら、剣士が術を使っていることが「絵」をみても何がどう術なのか、わかりにくいのです。アニメをみてはじめて「ああ、そういうことだったのか」と誰もがわかる適切で美しい表現になっています。一方、コミックの方は漫画なのに絵で表現すべきものを表現できていないのですから、かなり問題です。アマゾンの書き込みをみると一巻を読んでしまった人、こんなひどいとやめないでください、実際、絵はひどいのですが、作品は素晴らしいので、やめる前にアニメを見てください、というような内容のものがありましたが、その言い分には納得感があります。表現すべきものが表現できていない、ということであって、基本的な人物描写などがそもそも下手なのではありません。そこは進撃の巨人の出始めのころの絵のひどさよりはましです。自分は漫画など描けないのにプロの方に失礼なことを申し上げていますが、お二方ともあの作画の腕前で、空前のヒット作を飛ばしておられるので、「原作者」としては大変、素晴らしいと絶賛させて戴きます。

 

ヒットの理由について、概ね多くの方がおっしゃるのが殺される鬼の心情と、鬼の心の琴線に触れる主人公の優しさです。人を食う兇暴で残酷な鬼も、元は人間であり、むしろ被害者や犠牲者として傷つき、心の遊みにつけこまれて鬼にされています。首を斬られる寸前、人生?鬼生?を振り返る場面がいくつも描かれますが、きっかけは主人公が鬼の心の奥深くに沈められた悲しい気持ちを受容れ、理解することからです。ただ殺し合いをしていたのが、相手を認め合い、突然、互いに名前を名乗ったりします。様々な人生模様が実際にあったであろうようなというストーリーであり、これだけ並ぶと読んだ人はどこかで魂をくすぶられる経験をするのでしょう。家族のために命を懸ける、互いに全力で命のやり取りをする真剣味が現代人の忘れてしまった心の炎に訴えかけるものがあるのかもしれません。

 

ここまでは、よく語られている話です。

 

あまり話題になっていないようなのが、鬼殺隊という鬼殺しの組織の背景です。ファンタジー作品はまったくのオリジナルということはありません。歴史的事実、伝承、古典、神話など、何か元ネタがあります。神話は数千年もの時間の風雪に耐え、ずっと語り継がれてきた空前の超ロングセラーです。神話などのエッセンスを組み込まないで、大ヒット、ロングセラーというのはむつかしいものがあります。正確な記憶がなくても、エッセンスを含んでいる物語りは読んだ人の心の奥に響くものがあります。完全にゼロからの創造作品というのは見たことありませんが、あったとしても、売れないでしょう。誰もまったく知らない完全にオリジナルな設定、世界観では。

 

さて、鬼殺隊はやたらと資産をもっています。あの金はどこからくるのでしょうか。明治維新もIS(イスラム国)も金のでどころを見れば、その正体が見えてきます。給与所得者だった幕末の志士が無職になって海外留学までして、全国を出張しまくり、武器弾薬を揃えた、こんな話はあり得ないです。詳しくは、「明治維新の真実 総集編」もしくは「表に出始めた明治維新の実態」をご覧ください。

 

「頭(かしら)」の隠れ家は巨大な邸宅です。着ているものもなかなかの高級品のようです。隊士の刀剣などを量産する武器工場に、特殊な鉱物を掘り、精錬する金属工場もあります。端鬼の爪や牙では切れない特殊な繊維でつくった隊服という超ハイテク技術ももっているようです。隊士の会話の中に、出世して階級が上がれば支給される給料も増えるような話がでてきます。あれだけ修行に励み、しょっちゅう出張に出向き、分担地域の警戒任務など、「育て」も含め、みな給与をもらっているのでしょう、アルバイトしている暇があるようには見えません。また、幹部はかなりいい屋敷に住んでいます。山も方々にもっているようです。かつて鬼殺隊に命を救われた先祖をもつから、という理由で、隊士を無償で接待してくれる大きな屋敷が方々にあるようです。その一族が使う「藤」の字を囲む「下り藤」の家紋が目印だから疲れたり負傷したら自由に滞在すればよく、傷が癒えるまで面倒をみてくれます。下がり藤の家紋は今日では広く使われていますが、歴史物で、普通に考えれば下がり藤は「藤原氏」の家紋です。 ちなみに「上り藤」は藤井氏です。藤原氏は藤井氏に遠慮して下り藤に向きを変えたという話があります。藤原氏がバックにあるなら、平安時代から大正時代まで存続し続け、頭の一族は代々、何代目だったか、どこかに出てきましたが、とにかく長くずっと続いている、とか、これだけの資産をもっていること、何より、大正時代になっても浅草の町で日本刀を振り回し、殺人事件を起こし、その事実をもみ消す「隠し」という組織もいて、政府非公認のままずっと逮捕されることもなく自由に活動を続けてきたというのもあり得る話ということになります。汽車の中で刀を振り回し、汽車まで斬ってしまったら、一大スクープでとんでも事件になるはずです。

 

藤原氏の氏名は不比等から始まったようなのですが、不比等の本当の名前はわかりません。720年に不比等(歴史を編纂した人、史の人、という意味ともいわれます)が亡くなり、この年、日本書紀が編纂されます。藤原氏の書いた歴史の始まりです。不比等の父の鎌足は中臣姓ともいわれていますが、これも本当のところはわからず、高句麗本国が滅亡して程なく、鎌足が雷に打たれ、つまり天罰を受け即死したはずなのですが、死に際に中大兄皇子から藤原姓を賜ったということになっています。この鎌足という人、日本書紀によると何と「人を食った」と書いてあります。 蘇我山田麻呂を裏切らせて蘇我入鹿暗殺の後、今度は蘇我山田麻呂を殺して塩漬けにします。中大兄皇子など仲間と共に奇声を発し、狂喜して「寿司つくり」に励んだとあります。寿司は塩漬けにした肉を醗酵させてつくっていたのですが、よりによって、醗酵中、山田麻呂の体のパーツを綺麗にディスプレイして飾っていたそうで、これを見た奥方は発狂し、以後、「シオ」という音を聞いただけで発作がでたとされています。何のことはない、鬼狩りの組織のバックは人食い族がモデルだったということになります。主人公とその仲間はとても人間的で暖かい心をもっていますが、鬼殺隊の各メンバー、特に幹部級は殺される直前に人生を振り返る鬼より余程、人間味がない無機的な感じがする者もいます。20人の子供が最終選抜で鬼のいる山で7日間生き延びる試練を受け、5人が生き残った場面で、喜ばしそうに「優秀だね」となります。あの子供たちはどこからきたのでしょう。15人の子供が鬼に食い殺されても児童虐待にもならなければ、殺人事件にもならないようです。主人公の友人は借金の肩代わりをしてくれた人がたまたま隊士をリクルートして訓練し、最終選別に送り込む「育て」だった、という話がでてきます。つまり子供の人身売買です。幹部の継承者である「継ぐ子」の中には、そのまんまお金で買われる場面が描かれているケースもあります。先祖代々、隊士の家柄もあるようですが、全国から集められた子供たちの素性は居なくなっても世間様では問題にされないおそらく戸籍もない状態なのでしょう。先ほどの「継ぐ子」の場合は、こんな奴に名前はねえよ、親がつけなかったんだ、と説明されています。鬼殺隊の隊長さん? 「頭(かしら)」は死んだ子供の名前を全部覚えているという子供たちの墓場が並ぶシーンもありますが、親元に遺骨が戻るのではないようです。

 

聖地巡礼として福岡の竈門神社が人気だそうです。日本の歴史にとって非常に重要な要となった拠点の多くを一望できる丘にあり、如何にも訳ありな立地です。主人公の苗字と同じ名前ですが、都からみて鬼門の方向として鬼封じの意味もあると言われています。この神社の伝承ではありませんが、鬼の首を斬り、土に埋め、その上に竈門を創る封印の儀式が知られています。実際に竈門に火を入れ、鉄鍋に塩を入れて煎り、その模様を見て占うという秘儀が今日でも伝わっており、桃太郎に斬られた鬼の首の上につくった竈門で実際に占いを行う加藤氏の御一族と何度か会ったことがあります。竈門が熱くなってくると鬼がうなる声が聞こえるそうです。鬼は何も悪いことはしておらず、平和に暮らしていたのですが、鉄を作る技術をもち、これを狙って桃太郎が黍団子で買収した家来をひきつれて侵略しました。作品では鬼殺隊が日輪刀をつくりますが、歴史的には鉄を扱う部族を鬼として描くことが多いようです。そして常に鬼、鉄を扱う一族は最重要侵略目標とされてきた悲しい歴史があります。首を斬られて埋められるか、生き延びて職人としてこき使われるか、どちらかの道を辿ることになります。渡辺綱という武士の鬼退治の話は有名です。その時使われた刀剣かもしれないと言われるものを見たことがあります。天満宮が保管しており、時折、一般公開されます。他にも、土蜘蛛党退治など、鬼、妖怪、などなど、怪変異の類と、これを退治する剣士の話が数多く伝承されていますが、これらは実際に大和朝廷になびかない周辺部族を制圧した事実を反映し、制圧された側を鬼としてしまった、と考えられています。もっとも鬼とされた人々も一般庶民ではなく、世が世なら、時の政権を担った可能性もあるか、もともと、政権を握っていた人々が戦いに敗れたものという性格もあるようです。作品でも鬼狩りの頭の一族と、人を鬼に変える悪役のトップも元、同じ一族ということです。そして藤原氏をはじめ、勢力を張った一族は、繁栄のため、血を入れる、つまり血縁を結ぶことで一族の勢力を拡大してきました。

 

作品では鬼は藤の花の匂いを嫌います。また、藤の毒で殺されることもあります。何をどうしても死なず、体を切り刻んでもすぐに再生し、日輪刀で首を斬った場合だけ再生せずに死ぬという生命力? 生きているのかどうか、ですが、身体能力が尋常でない鬼が、なぜか藤のエキスでコロッと死んでしまいます。鬼にとって藤はどうしてそこまで相性が悪いのでしょうか。 藤は元は葛の字を用いました。葛の城で葛城山系、日本の創生神話で重要な舞台となるところです。葛というのは吉野葛のクズのことですが、これを「フジ」と読みます。正式には葛藤(クズフジ)という名前の植物です。フジフジと書くんですね。山を登るとよく見えませんが、遠くから山の表面を眺めると、日本全国どこへいっても初夏の辺りからフジの花が咲いているのが見てとれます。フジはどこにでもあるのです。井上天極堂という吉野葛のトップメーカーのオーナー社長さんに教えていただきましたが、葛藤は雑草であり、どこにでもあるもので、吉野だけに生えているのではないですよ、と。吉野が葛の名産地なのは、精製する際に温度が高いと葛が粘って沈んでくれない、なので、年中、冷たくて純度の高いキレイな水が大量に確保できること、夏でも冷たい水が大量確保でき、冬でも凍らない水を大量に確保できるといった条件を満たすところは日本有数の大豪雨地帯、大台ケ原をはじめ尋常でない降雨量と冬、冷え過ぎて凍結しない黒潮の暖気が吹き込む特別な山々を背にし、その清水が大量に湧き出る山地の端という好立地が理由なのだそうです。日本古代史最大の決戦、壬申の乱も大海皇子が吉野で挙兵したことから始まり、南北朝の南朝や日本の歴史で常に裏側の都として幾度も登場する吉野は山岳ネットワークの工芸集団と、平野で田んぼを経営する貴族・寺社勢力の接点という位置にあります。 この作品に登場する様々な訓練は吉野を中心に広がる修験道の修行に通じるものがあります。 さて、全国どこにでも生える雑草がなんで高貴?な藤原氏の家紋に使われるのでしょうか。 全国どにこにでもはびこる、勢力を張るということもあるのですが、藤は大木に絡みつくツタ植物です。大木の養分を吸い取り、枯らしてしまうと次の大木に絡みつきます。他の草との闘いには強烈な化学兵器で圧倒します。草木は互いに毒を用いる化学兵器戦争を戦っているのです。実はただのツタなのに、花を咲かせると、その大木自体が藤のように見えてしまいます。こうして実態をもつ一族にとりつき、養分を吸いながら次々に絡めとっていく、その一族の行動様式をピタリと顕すのが藤という植物です。藤原氏は蘇我氏や加茂氏をはじめとして高句麗系の有力氏族と次々に血縁を結び勢力を拡大します。国力増強に貢献のあった有力氏族の名声や民の敬意を血を少しずつ入れていくことでかすめ取っていくのです。そしてまつろわぬ者どもは妖怪変化の類、鬼として迫害し、蔑んでいったのです。 さて、藤原と、原がなぜついているのかは、まあ、あまりこの作品に関係ないのでやめておきます。 簡単には倒れない鬼がコロリと逝ってしまう強い毒が藤にはあるという設定はこういう背景があるのではないでしょうか。作者が語っているのを聞いたことはありませんが。

 

 

 

この作品も様々にこの国の歴史を反映して作られているようです。

 

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