藤井真則のブログ

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2018年01月05日

  

えとせとら

2018.1.4.

 

 

元旦の日経新聞は仮想通貨の記事が

目白押しでした。

 

仮想通貨という言い方はピンときませんが

各国の国家機関が発行する通貨以外の

通貨のように機能するものという意味だと

そもそも米ドルこそ仮想通貨の際たるものとなります。

 

また、実態経済より2ケタ以上の巨額の

スペキュレーションと呼ばれるバーチャルな

金融取引がドルベースで行われているのですから

どこに実態通貨があるのかわからなくなっていますが

通貨当局が発行を意図し、管理下にあるもの

以外の通貨が急速に普及しているのは

事実です。

 

かつてのニューディール政策も実際には効果がなく

ローカル通貨を多種大量に発行したことが

大不況からの脱出につながっていったという

学説がありますが当時は、ネット上の取引ではなく

地域内で通用する紙幣などを実際に発行したもので

流通する地域が物理的に制限されていました。

 

さて、タイトルは蒼い狼ですが

モンゴル帝国が巨大化した要素の一つとして

仮想通貨政策を抜きに語ることはできません。

 

 

 

天上より詔くだり

蒼い狼 と 白い雌鹿

そこにあり

 

モンゴル建国神話より

 

 

実際に蒼い狼の集団がおり

チンギスハーンは、やたら強い彼らの

戦い方を探求し学んだのだそうです。

つい最近まで知りませんでしたが、、、

 

蒼い というのは遊牧民独特の色表現で

日本語ではカバー不可能なほどの色が

あります。 青とか、赤とかやっていくと

何百と色を表す言葉があります。

主に多様な馬の毛の色示すのに、

多彩な表現となったようです。

 

遊牧民は、四神という概念をもち

 

北に玄武(黒)

東に青龍(青)

西に白虎(白)

南に朱雀(紅)

 

それぞれの方向に色を合わせますので

遊牧の民のルーツ、スキュタイにとって

南にあったから紅海であり、北にあったから黒海

だということです。 じっさい、黒海は鮮やかな深い青色でしたし

紅海はまあブルーといえばブルーですが流れ込む

河川がほとんどないので

珪藻などが発生しにくく

透明で薄い色をしています。

どうみても赤っぽい色には見えません。

今ではすっかり地形が変わり

東と西がわからなくなりましたが

当時は地中海から日本海付近まで

内陸部の水路がつながっており、

「青海」、「白海」も

あったそうです。

 

匈奴が漢の高祖劉邦の軍を囲んだ時も

黒、蒼、白、紅の色をした馬をそれぞれの

方角に並べたとありますし、

高句麗古墳にも必ず四神の図の壁画があり

有名な会津の白虎隊というのも

四神にちなんで玄武隊、青龍隊、白虎隊、朱雀隊が

あったのですが、白虎隊だけが有名になりました。

 

さて、モンゴル帝国といいますが

元々モンゴル人というのは、ほんの数千人ほどです。

 

モンゴルという名前の同族集団です。

村上さんの一族が大きな国をつくり

村上帝国と言っているようなものです。

 

モンゴル帝国時代のモンゴル人の

遺骨はひとつもありません。

亡くなると鳥葬にしますので

骨が残らず、民族としての調査は

容易ではありません。

 

ライオンやヨーロッパアナウサギの集団は

大人の雄一頭か二頭が外様で、雌はすべて

親子・兄弟関係でつながっている血縁集団です。

なので、血族ではないウサギの雌を二匹一緒に飼おうとすると

大ゲンカを始めることがあります。

一匹飼いが基本です。

人間の場合も、古代は基本的に同族集団でした。

ローマ帝国は100人ほどの創始者グループの

子々孫々が人口を増やしたので、名前も100ほどしか

ありません。

 

モンゴルの場合は、男が外からやってきてボスを倒すのではなく

族長の末っ子が次の族長になる末子相続が基本です。

 

末っ子は一般に強い(親の毒は子供に生物濃縮されますので

10人も子供を産めば、一番末っ子はかなり健康で強い子になります)

あるいは、末っ子にしておかないと頻繁に族長の代替わりが起こり

不安定という背景もあるようです。

 

 

モンゴル族は、数多いる遊牧民の同族集団の一つに過ぎず

当初は相当な辛酸も舐め、母親も誘拐されて、奪回にいったわけですが

初期のころのチンギスハーンは、奇襲作戦によって奇跡的な勝利を

重ねる軍事の天才としての能力を発揮しました。

 

その後、「帝国」は巨大化していきますが、モンゴル族の人口だけが

急増して帝国全体に広がったのではなく、周辺同族集団も同盟軍として

あるいは支配下集団として各地に転戦しましたので、

各地では、様々な氏族名で呼ばれていました。

ロシアではモンゴル族よりも、タタール族が多くやってきたため

「タタールの頸」(1988年までタタール人は

クリミア半島から外へ出ることは禁止されていました)と

言いますが、モンゴルではなくタタール人と言われていました。

一方、キプチャックハンを支えた貴族集団は

コサックと呼ばれ、ロシア経済・軍事・政治の中枢に

絶大な影響力を及ぼし続け、今日でも彼らの企業集団が

活躍しています。

 

モンゴル帝国の版図拡大においては

大規模な軍事衝突もあれば

抵抗した民族の大虐殺ということもあったのですが

多くの場合、先鋒として乗り込んだのはせいぜい

1000人程度の部隊であり、これが経済政策を

提案し、話がまとまれば、モンゴル帝国に

組み込んでいきました。

 

政治の独立と宗教の自由は認めたのです。

 

何よりも重要なのは経済的な交流により

お互いが豊かになる、という考え方です。

 

当時、通行の途上にある同族集団のエリアを

通る度に、通行税をとられるので、遠距離交易は

成り立ちませんでした。

 

そこで、「一律消費税3%」ぽっきり政策を

打ち出します。

 

生産地を出た商品は、消費地でのみ3%の

消費税を納め、途中の通過地では無税としたのです。

 

この方がお互いにメリットがでると説いたのです。

 

そして結社の自由を認める、これが同族社会にとっては

革命的なことでした。

 

出身氏族や宗教、あるいは国家など一切関係なし。

 

人々は自由に結社、つまり会社組織を結成し

結社の共有資産をもっていい、としたのです。

 

異質な人材をそろえ、多彩な事業を展開し

交易路の保全整備を義務として負わせる代わりに

ある種の利権を与えていきました。

 

こうした企業集団による活発な経済活動が展開され

スモール国家が要求する納税額も少なくてすむようになったのです。

 

そもそも国家の中枢といっても移動式テントに住んでいるので

宮殿建設費や巨大な官僚機構は要らなかったのです。

 

この巨大な経済圏を動かす血液として

新たな通貨政策が必要でした。

 

 

当時は、銀が通貨となっていましたが

大規模な交易網を動かすには絶対量が不足していました。

 

大陸では塩は貴重品であり必需品です。

食糧の保管に絶対に必要だからです。

年中いつでも何でもとれる地域は滅多になく

冬を過ごすために、「塩漬け」は必需品でした。

 

そこで製塩業を官制化します。

ここまではよくあることで

実際に塩そのものが通貨として

流通することも珍しくありませんでした。

 

モンゴル帝国の場合、塩と交換できる

兌換券を発行します。 これを通貨として

流通させますが、実際の塩の生産を上回って

発行することも可能であり、通貨供給量を

政策的にコントロールすることができました。

 

銀に比べれば偽造のリスクは高くなりますが

保管や交易の際の所持に場所もとらず重くもなく

便利なお札として流通しました。

 

戦争だけで勝ち続け、あらゆる民族を切り従えるというのは

かなり無理があります。 信長も市場開放政策で版図を拡大し

ましたが、大帝国の誕生には必ず適切な経済政策があり

特に適切な通貨政策がなければ、大きな経済圏が出現する

ことは不可能です。

 

 

さて、現代のバーチャル通貨は世界をかえることに

なるでしょうか。

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