藤井真則のブログ

このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHP(リンクをお願いします)をご覧ください。
本ブログは、あまり標準的ではない特殊な治療の普及にあたり、「常識の壁」を破るために、特に分野は特定せずに書かれたものです。「常識とは、ある特定の組織・勢力の都合により強力に流布されて定着したからこそ、常識化した不真実であることが多い」という前提で書かれています。

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2012年03月18日

  

えとせとら

2012.3.17.
 
 
日本の水田による稲作の場合
播種率は三桁にも達します。
 
つまり、一粒の米を植えれば
数百粒の米が取れるわけです。
 
欧州における畑作の場合、
麦類の播種率は、一桁台から
改良を重ねてきました。
播種率が1になったらもう、
農業をやってる意味はほとんどありません。
食べてしまうと、次に播く種がなくなっていくのですから。
 
三圃式で、農機具も改良を重ねて、それでも
播種率一桁あたりでウロウロしていたのですから
野生の麦などを栽培しても、ほとんど収穫は望めません。
 
麦も稲も、まず穂から実が落ちないようにする、
これなくして、栽培作物にはなりえません。
穂を刈ってきたら、ごく一部しか実がなく、あとは
もう飛んでしまったか、まだこれから実ってくるかだと
労多くして、殆ど食べられないということになります。
成熟した実がいつまでも落ちずに、どんどん実がたまっていき
たわわに実る、これがまず、麦や稲などを栽培植物化する
絶対条件でした。
 
他にも、沢山の実をつける、一つの実に、ぎっしりと
デンプンやら、タンパクやらが詰まっている、
もみ殻を簡単にとることができる、、、、、
数えていけばきりがないほど、
改造しないと、とても食えない、、、
野生の麦や稲は、そういう代物だったのです。
 
最初にやることは、雄性不稔の確立です。
 
昔も今も、植物の品種改造には、遺伝子の組み換えを
行うわけですが、基本的な方法としては、掛け合わせです。
 
ところが、植物は自家受粉します。
一つの花の中に、おしべもめしべもあるのです。
自分でつくった花粉が、自分のめしべにくっついてしまいます。
これとあれを掛け合わせて、とやろうと思っても、
掛け合わせる前に、自家受粉されると効率が悪いわけです。
 
そこで、正常な受粉をする花粉をつくれない株を確立し、
これを雄性不稔というわけですが、今度は、雄性不稔のめしべに
人工的に、別の株の花粉を強制受粉させるのです。
 
こうして、これとあれを掛け合わせるという地道な努力を重ねつづけ
ある極端な性質をもった株を、今度は、更に、その性質が極端にでるように
掛け合わせを続けるのです。  こうして、狙い通りの性質をもつ株を
確立します。
 
 
1年に一回しか、受粉しない植物だと、一回、掛け合わせるのに
1年かかります。   その間、ほとんど利用できない代物を育てることになります。
ましてや、雄性不稔株をつくったとして、そんなものは、すぐには何の役に立ちません。
目的の株を確立するまでの中間株に過ぎません。 そんなことを延々とやってる間に
やってる人の人生は終わるかもしれません。  
 
今日でこそ、栽培されてる麦はこういうもんだ、と知ってるわけですが、最初に野生種の麦をみた人は
そんなものを改造することで、自分の何世代かあとには、栽培できる植物に化け、そして
実を収穫して、小麦粉に加工すれば、たこ焼きもつくれる、、、、  どうして、そこまで想像できたのでしょうか。
 
自分が生きている間には、何のエビデンスも得られない、とりあえず目の前にある、加工中の妙なものは
煮ても焼いても食べられない、、、 それで、どうやって見たこともない栽培植物をつくりあげることができたのでしょうか。
植物学者は、何万年も前に、今日の手法と基本的に変わらない方法で、栽培植物がつくられたと考えているようですが
どうやってそんなことができたのか、全く説明不能としています。
 
昔の人は、現代人より遥かに知恵が働いたようです、、、、

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