藤井真則のブログ

このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHPをご覧ください。
本ブログは、あまり標準的ではない特殊な治療の普及にあたり、「常識の壁」を破るために、特に分野は特定せずに書かれたものです。「常識とは、ある特定の組織・勢力の都合により強力に流布されて定着したからこそ、常識化した不真実であることが多い」という前提で書かれています。

TOP > 原発集中地域の風景

2012年04月17日

  

えとせとら

2012.4.17.
 
 
関西は、原発の普及が早くから進んだ地域ですが
かつて、日本の原発は若狭湾にある、と言われるほど
特定地域に集中していました。 
その後、各地に建設されて以前ほど突出しなく
なってきましたが、それでも、日本有数の原発集中地域で
あることに変わりありません。
 
よりによって、風光明媚な地域です。
 
敦賀半島に、「色」(いろ、と読みます)という地域があり
その色が浜は、群を抜いた美しさをたたえています。
物心ついたころにも、学生のころにも、「おもや旅館」に
泊まりましたが、グーグルマップをみると、今でも
色のおもやが映っています。
色が浜そのものは、ズラリとイカ釣り高速艇が並んでいて、
あまり泳ぐ人はいないのですが
渡し船で沖合の島へ渡ると、そこは、子供でも、700メートル
沖まで歩いていける、「超々」遠浅の砂浜が広がっています。
真っ白で、きめ細かい砂が、何百メートルも沖まで広がる
風景は、日本を代表する光景として、筑波博覧会の日本館の
メーンの催しにも使われていました。
 
たまたま、メディチ家の当主が来日された際、筑波博をご案内
させていただいたのですが、当然、VIP待遇となります。
人気の高い有名パビリオンの各館長にご挨拶をして、
今度は、他のパビリオンの館長へのご紹介をいただくのですが、
館長室からVIP専用通路を通って、エグジビションスペースへ入ります。
炎天下、ずっと並んでいた人々を追い抜いてしまうのですから
そこは、人々が気づかないように、さり気に、スーッと合流できるよう
うまく工夫がしてあります。暗い通路の曲がり角や人の気をひく何かが
あったり、少し列が乱れるような広場などで、
人の視界の裏から、何気に紛れ込むようになっているのです。
、、、 色が浜の空撮シーンが、巨大なドーム型スクリーンに投影されるのを
見ていたのですが、沖合の小島の真ん中にある簡易トイレまで、
そのまま映っていました。
 
ここには、小さな島には、まったく似つかわしくない、
巨大な波止場が突出しています。
 
和歌山の有名な海水浴場へ、白砂を運び出すのに使われたものらしいです。
 
和歌山北部は、中央構造帯にそった火山地帯で、鉄分にとんだ
赤黒いザラザラした砂に覆われ、体につくと、海水を含んだベタベタした
赤黒がこびりついてとれません。 とても、海水浴場には向いていません。
隣の南部(みなべ)には、述べ1年、暮らしたのですが、すぐ目の前になのに
全く、砂の質が違います。
有名海水浴場の方は、若狭の白砂を運び込んで、
白い浜、ということにしたのでした。
 
敦賀半島の東側には、海水浴場や村々が点在し、半島の北端の方まで
一般道がつづいています。先端には、日本原燃の敦賀1号、2号があり、
当然、一般人は入れません。
 
西側は途中までしか一般道は使えず、丹生(にう)の町に、関電美浜があり
私が内部まで入っていたころは、3号機、4号機が稼働していました。
丹生の村は、代々、76戸しかなく、長子相続を原則とし、分家を認めない、
それは、限られらた水産資源を守りながら、
人口を増やさない工夫と聞かされました。
 
原発の冷却のため、広大な湾の海水が、一日に二度、入れ替わるそうですが
おかげで、内湾の海水も外海並みにきれいに保たれ、大型の回遊魚がどんどん
入ってくるそうです。試しに、大きな刺し網を打ちにいくのを手伝いました。
進入路と直角に、10センチ角の網をはっておくと、10センチより
大きな魚が頭から突っ込み、ひっかかっています。
苦もなく、巨大なヒラマサやら、なぜか、海底にいる、大きなコチが
獲れることもありました。 
コチのほほ肉は、関西の釣り人にはイシダイ以上の
珍味とされ、刺身にすると、これ以上ないだろう、
というほどの、強いコシがあります。
温排水路周辺には、巨大化した、ハマグリより大きい?ような、
お化けアサリがいくらでも摂れ、毎朝、とても食べきれない量の
アサリの味噌汁が、一人に大なべ一杯もだされました。
 
主な仕事場は、定宿の丹生から一度、山中に入り、
再び、西海岸におりた「白木」町の先、高速増殖炉「もんじゅ」の
サイトでした。 その先の海岸線にそった稜線を
さらに半島の先端へと進むと、プルトニウム燃焼実証炉「ふげん」が
稼働していました。
漁業権は、動力炉核燃料開発事業団、いわゆる動燃が買い取った、
と、村の漁師からは聞きましたが、プロの漁師は誰も漁をしなくなった
磯にもぐると、十数センチ大のあまり見たこともない立派な
サザエやアワビが、いくらでも摂れました。
 
今回、再稼働で物議となっている大飯の原発には、
そう何度も行ったわけではありません。
敦賀半島より西、若狭湾の海岸沿いの漁港を抜けていくと、
大飯の原発があるのですが、丁度、3号機と4号機の基礎工事中に、
建設予定地の検査を行いました。
まだ、建設前ですから、特に、問題ということはなかったのですが、
1号機と2号機はすぐそばで稼働中でした。
 
名神高速敦賀インターから、敦賀半島へ向かう道中、通称「関電村」の
アパート群があったのですが、延々と何塔も続くベッドタウンです。 
原発のメンテ要員3000人が使うんだ、という説明でしたが、
なるほど、原発はメンテ費用がかかるんだ、と実感しました。
 
もんじゅを中心とする仕事中は、体調の異変をきたすことはなかったのですが
その後、IRセンター(放射性同位元素)で、日々、実験をするようになりました。
セシウムの回収掛もやっていたのですが、どうも、トリチウムか、リン(P32)の
体内被曝をしたようで、白血球数が1000に近づき、
体もだるい状態が続きました。
 
もっとも、遺伝子に突然変異を誘発するあらゆる物質を扱い、
一般には使用しない危険な有機化合物やら、非常に強い紫外線、
遺伝子を改造したウイルスやら実験動物やら、その手のものを扱っていたので、
何が、どう悪さをしたかはわかりません。  
 
その後、医薬品のビジネスをするようになって、
遺伝子変異誘発剤が、ウイルスやがん細胞の遺伝子を変性させる
医薬品として人体に投与されていることを知り、
ギョッとしたのを覚えています。 
 
 

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