藤井真則のブログ

このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHPをご覧ください。
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2012年07月23日

  

えとせとら

2012.7.23.
 
学校では、ワットという人が蒸気機関を発明し
科学技術が進歩したおかげで産業革命が起こった、
そう習いました。
 
ほんまかいな、と思ってました。
 
ちなみに、蒸気機関などは、2000年前に存在していた
記録があります。 
絵もあります、確かに、見たことがあります。
力強い蒸気機関という代物ではなかったですが、
蒸気の力で機械を動かす、そんなにとんでもなく難しい
ものではありません。 
 
風車とか水車は、今なら「最先端のエコなエネルギー」
となるのでしょうが、そんなものは
昔、昔、から存在し、いちいち、石炭を運ばなくても
簡単に動いたのです。この方が、便利です。
わざわざ蒸気機関を活用する意味がなかったのです。
 
 
蒸気船ができたおかげで、ヨーロッパは世界に雄飛できた、
というわけでもありません。
蒸気船は、石炭の補給のため、未開拓の領域に踏み込むことは
できません。 それをやってのけたのは、帆船です。
これなら、乗組員の水や食料さえ確保できれば、
燃料は不要です。
まず、帆船が、最初に航路を確立し、
諸港での石炭補給を前提に、蒸気船が就航します。
もっとも、ヨーロッパ人がみつけたのは、
未開の土地や海なのではなく
他民族が開拓した土地であり、「港」でした。
大航海時代には、とっくに世界航路が確立されていたのです。
ヨーロッパ人は「取った」だけです。
しかも、ヨーロッパの帆船が特別すぐれていたのではありません。
むしろ、大航海時代の初期のころ、サイズや速度では
見劣りしていました。
ヨーロッパ人が、世界各地を植民地化したのは、
蒸気機関のおかげでもなければ、
優秀な帆船をもったからでもなければ、最初から、強力な
軍隊がいたわけでもありません。 
 
世界を制覇するという明確な意志と
修道会の巧妙な「策」があったからにほかなりません。
 
科学技術は案外、昔むかし、から、
相当レベルのものが開発されています。
その大半は、世に出ることはありません。
技術が世界を変えるのではなく、
市場が技術の出演を促すのです。 
世界を変えてきたのは、心や意識、
社会のシステムの変化の方です。  
一方、気象変動は、人類史に
決定的な影響を及ぼしてきました。
 
さて、今年の5月、太陽の一方の磁極が消滅し、
これは磁極の逆転の始まりの兆候だ! 
ということは、かつて産業革命の引き金になった
地球の寒冷化が、再び起こるのかもしれない、
と大騒ぎになりました。
結局、翌月には、反対に太陽の活動が活発化しはじめ、
今度は猛暑だの太陽風、磁気嵐だのと、異なる方向へ状況が動きはじめましたが、
そもそも、寒冷化と産業革命はどう、つながるのでしょう。
 
 
産業革命の舞台となった英仏独など欧州主要国は、基本的に「森」の国でした。
ケルトの妖精が住む深い森、シュバルツバルト「黒い森」でした。
この森を切り開いたり、ところどころ数キロ単位の低木や草地が広がる
「ボカージュ」などに町をつくっていました。 
この数千年、農耕技術の「進歩」とともに
単位面積当たりの収穫量は増え続けたのですが、
それは、加速度的に土壌を
疲弊させることでもありました。
そこへ、太陽の活動低下による寒冷化が押し寄せます。 
 
食糧が不足し、羊毛の収量が減ることは、
衣類の供給が減ることを意味しました。
また、森が衰え、伐採が続いたために、
人々は遠くの森まで燃料を集めにいきましたが、
資源の枯渇が続きました。
そこで、やむなく、昔から知られていた石炭に手を出さざるを
えなくなります。 
重くて、硬く、ゴツゴツした石炭は、運びにくく、着火しにくく、
煙や匂いがひどく、煤やタールがこびりつきました。 
そのため、貧民層から順に
この化石燃料に手をつけるようになりました。
 
石炭産地から消費地へ石炭を運ぶため、蒸気機関車をつくって、
鉄道でまとめて運ぶようになりました。
 
教科書では、ワットの蒸気機関が石炭を運んでメデタシ、メデタシ、
産業革命となるのですが、
この時点では、単に、身も心も温まる薪のストーブが
劣悪な石炭に代わり、大気汚染が進んだだけです。
 
食糧生産が増えたわけでもなく、石炭を燃やすようになったからといって
羊が増え、暖かい衣類を増産できるようになったわけでもありません。
 
東インド会社は、羊毛にかわって、インドの木綿を仕入れて大儲けします。
 
ところが、それでは飽き足らない彼らは、
インドの木綿職人おおよそ10万人に
対して、両腕を切り落とす、両目をくりぬくなど、
残虐の限りをつくし、木綿生産の競合相手を壊滅させ、
インドの豊富な原料綿を独占し、
蒸気機関で駆動する紡績機や織機を使って、
木綿の大量生産を始めました。
 
元々、存在していた先進国インドの木綿産業を壊滅させ、
その地位を強奪する装置として、蒸気機関を利用した、
これを産業革命と呼んでいます。
正確にいうなら、産業ドロボー、
それも流血を伴う強盗のようなものだったのです。
 
では、産業革命によって、英国人は、他国民の犠牲の上に豊かな暮らしを
始めたのかというと、そうではありません。相変わらず、劣悪な石炭燃料の
使用が続き、大気汚染が進行、炭鉱労働の過酷さは続き、犠牲となる
少年鉱夫は後を絶ちません。国民から徴収した税金で軍を動かし、
植民地での圧政を実行する過度のコストから、英国経済は停滞が続きます。
豊かになったのは、東インド会社のスイスの金庫でした。
その管理人ウォーバーグ家は、やがて、植民地である米国に
連邦準備銀行を創設、今度は、何の苦労もせず、
ドルを印刷する新規事業を始めます。
連邦準備銀行は、もちろん、「国」の銀行ではなく、
全くのプライベート事業です。
これを金融革命とは呼びませんが、
産業革命以上の「富」をもたらしました。 

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