藤井真則のブログ

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2015年09月06日

  

えとせとら

2015.9.6.
 
 
 
日本の参戦を仕掛けたのは米国ですが
他にも、多くの国が日本の参戦を望んでいました。
 
代表格はソ連です。
 
 
ゾルゲというスパイが
帝国海軍の暗号帳を入手し
米国に内容を教え
更に、ハワイ北方に展開する
ソ連海軍哨戒艦二隻が
日本の機動部隊を
発見しておきながら
米国には伝えない、、、、
なかなか、
トリッキーな動きを見せたソ連。
 
ソ連は、日本の国力が
海軍と陸軍に分散し、
さらにソ連から見てシベリア正面、
満州に展開する日本の陸軍主力部隊が、
南方方面へ転戦することを
望んでいました。
 
大きな問題は、米英との開戦に
反対する日本の陸軍を
いや、やっぱり戦争はじめましょう、と
納得させること、でした。
 
 
戦後、数多くの戦争映画やドラマがつくられ、
その中では、概ね、
陸軍が主戦派で、国際感覚がなく
狂信的に日本を破滅的な戦争へ
導いていった元凶で、
海軍は国際的で、国力の差が大きすぎる敵との
戦争には反対していた、というニュアンスで
語られることが一般的でした。
 
実際には、陸軍、特に実権を握った
東条英機は、開戦反対でした。
 
 
これは当然のことです。
 
 
陸軍は、陸で戦争するのが仕事です。
既に、中国と泥沼の消耗戦を始めてしまい
その上、ノモンハン事変で、コテンパンに
やられてしまったソ連軍が、目の前に
展開しています。 
中国の広大な土地で戦争をやりながら
最精鋭部隊は、満州に集結させ
シベリア極東ソ連軍と対峙させていました。
 
ただでさえ、無謀な二正面作戦を展開していたのですから
この上、米英と事を構えるなど、勘弁してくれ、
特に、太平洋やインド洋での戦いとなると
主役は海軍だろう、それもおもしろくない、、、
陸軍が、海の戦いに消極的な態度をとる
これは、当然の成り行きということになります。
 
 
一方、海で戦争するのが仕事の海軍は
中国で戦争されても、あまり関係はありません。
一応、空母部隊による空襲や、海軍基地航空隊の
中型攻撃機による都市無差別爆撃、
新鋭機「零式艦上戦闘機」
(レイセン と称します、戦後、ゼロ戦隼人という
漫画が流行し、英語風のゼロ戦という言い方が
定着します)の実戦投入、
また、海軍陸戦隊(海軍の歩兵部隊)による
上陸作戦など、何もやっていない
わけではありませんが、どうみても脇役です。
 
米英との戦争については、海軍が率先して
準備を進めていました。
 
基本的に、海軍は、対米戦のために存在し
日露戦争終了と共に、
ひたすら全力で、いずれ激突が避けられない
米国海軍との決戦の準備を進め、
建造中であった新鋭空母二隻、
それも最初から空母として計画された
正式空母の中でも(当時の大型空母は
戦艦や巡洋戦艦を改造したものでした。
そこで、船としては少しバランスを欠きながらも
搭載機数は大型空母並みの中型空母が
日本2隻、米国4隻が就役済でした)
大型としては、世界初の
正式大型艦隊型空母「瑞鶴」、「翔鶴」が
実戦配備される時期に合わせて、
一気に米太平洋艦隊の殲滅を目指す
準備を進めていました。
 
海で戦争するのが仕事なんですから、これも当然です。
 
 
さて、ゾルゲというスパイ、師匠は
ハウスホッファー卿という謎の人物です。
 
ヨーロッパの伝統貴族ということですが
ドイツの戦争指導者が、まだまだ無名時代に
魔術の会合で見初め(第二次世界大戦の
ドイツの戦争指導者も、魔術の協会のメンバーでした。
ハウスホッファーは、別組織に属していましたが
そこは、さらにメジャーな協会でした)、
ドイツ国内最大の財閥を
率いるクルップ氏を紹介します。
この財閥、大量虐殺に遭うことになる民族の
系統の企業集団なのですから
歴史には、裏も表も、裏の裏も、
何重にもあるわけです。
その後も、同じ民族の系譜に属する
米国の資本家を次々に引き合わせ
ドイツでの政権奪取を全面的に
サポートさせます。
 
戦後、ドイツの政権政党や、指導者は悪の権化のように
言われることになりますが、戦前、米国上流階級の間では
むしろ「絶賛」されていました。 第一次世界大戦後の
ハイパーインフレから、経済を再建し、失業問題をクリアした
手腕や、ソ連という共産圏に対する防波堤という
持ち上げ方をされていました。
実際、ドイツ軍を支えた軍事産業は、ほとんど
米国資本でした。 激戦を展開した米独両軍とも
その装備をつくった会社の株主は同じだったのです。
 
そして、狂信的指導者とされた人物最大のスポンサーは
第二次大戦後、ドイツ最大の金融機関のトップとして
ドイツ経済界に君臨し続けます。
 
 
 
このブログの中でも、アクセスが多いのが
日露戦争における日本人の合理的精神というシリーズで
その中にでてくるのですが、
日本民族を骨抜きにしないと世界のリーダーになる、
という危惧を抱いた欧米列強は、
切り札ハウスホッファー卿を日本に投入し、
日本の軍部、特に青年将校に精神教育を施します。 
合理的ではなく、狂信的な精神論を吹き込み
後日、教え子たちが、226事件や515事件を起こし、
また、補給などは要らないんだ、精神力で戦え、
という無茶苦茶な作戦を基本とさせ、各地で悲劇を起こします。
歩兵には、背嚢(リュック)に詰められる20日分の弾薬、食糧
だけをもたせ、あとは、補給なし、なのです。
兵士は、敵と戦う前に、食糧の現地調達をする必要に
迫られる構造をわざわざつくっていたのです。
で、戦う時には、弾はないのです。
 
また、海軍には、米国と太平洋で刺しあう方向性を
陸軍には、中ソ二正面作戦を、という、およそ小さな島国には
無茶苦茶に非現実的な、「基本戦略」を吹き込みます。
かなりの大国でも、陸軍と海軍、両方とも巨大戦力の整備を目指すと、
まず破滅する、どちらを中心とするのか、明確にすべし、
そして、どちらにするかは、地形や周辺国など
地政学的な状況によって、自ずと決まる、
というのが当時の戦略論の基本でした。
島国、日本に、陸軍中心の思想が植えつけられ、
陸海軍は、鋭く対立します。
といっても、圧倒的に人員が多く
組織が巨大な陸軍の方が、政治力を発揮していく方向へ
傾いていくことになります。
そして、圧倒的な脅威は、海の彼方から日本を狙っています。
いざ開戦となると、内南洋方面にて、
空挺部隊の奇襲攻撃などにより
英蘭の石油精製施設を確保した陸軍に対して、
海軍は、ボロボロに失敗。。。。
そして何と、「陸軍の」天然資源を
本国へ輸送することを海軍が拒否するという
あり得ないような事態に発展することになります。
 
 
 
日本は、太平洋戦争の際に、突然、米国から戦争を仕掛けられた
のではなく、ずっと、昔から一貫して狙われています。
 
その中でも、切り札のハウスホッファー卿の策は、
日本軍の構造を歪にし、人材を狂わせ、
日本の戦争方針を大きく歪めていきます。
 
仕上げに投入されたゾルゲは、ソ連のスパイですが
ドイツ大使館勤務でした。 ドイツの戦争指導者にとって
最大のパトロンであり、メンターでもあるのですから
弟子のスパイ一人を大使館に潜らせるくらい、
簡単なことです。
 
 
 
どうやって、開戦反対の東条英機を納得させるか。
 
 
1941年6月 パールハーバー空襲の半年前
ドイツ軍は、突如、バルバロッサ作戦を発動、
ドイツ軍を育ててくれた産みの親でもあり
友軍でもある、ソ連軍の前線を突破します。
ドイツ軍の主力戦車であった、3号戦車も4号戦車も、
ソ連からのプレゼントです。
 (ドイツ自前の戦車というのは、戦争末期になって
 やっとこ、ソ連製戦車の改造という形で開発されます。)
ソ連は、当然、ドイツにくれてやったポンコツ戦車を
圧倒するT34/76型戦車を量産し、待ち構えていました。
ところが、あえて、前線には新型戦車を投入せず
前線の将兵100万が捕虜になっても見殺しにします。
ロシア伝統の焦土作戦、国土を焦土と化しながら
敵を内部に呼び込み、敵の補給線を伸び切らせ、
弱ったところで、一気に壊滅させる作戦です。
 
見かけ上、ドイツ軍が快進撃を続けていますので
「ほら、ヨーロッパでは、同盟国ドイツの圧勝ですよ!」
これなら、何とかなる、と東条英機を説得する動きが
活発化します。
 
こうして、あくまで、欧州戦線において、盟友ドイツの
圧倒的な勝利を前提条件として、対米、対英、開戦につき
陸軍の同意を得ることに成功します。
 
この際、ゾルゲの最大のミッションは、本当に帝国陸軍が
二正面作戦を捨てるのか、満州に展開する精鋭部隊
「関東軍」を南方へ転戦させるのか、という確認です。
 
ソ連軍は、名将ジューコフ将軍指揮の下
最精鋭部隊をシベリアへ集結していました。
冬将軍にやられたのはドイツ軍だけではなく
欧州のソ連軍も、厳冬期用装備がほとんどなく
冬は戦う前から、凍死者が続出する惨状だったのです。
その点、シベリア極東軍は、「モコモコ」ルックに
身を包み、完璧な厳冬装備を有するばかりか
夏、普通に、ドンパチやることに関しても、
最高の装備と、最優秀な兵士を集めていたのです。
ジューコフ将軍以下、ノモンハンで実戦経験を積んだ
精鋭の中の精鋭でした。
もっとも、ノモンハン事変で、日本の陸軍をぶちのめした、といっても
ソ連軍の被害も半端ではなく、日ソ両軍、ともに数十万の
精鋭がにらみ合っている状況で、下手に部隊を引き上げ
欧州戦線へ投入しようとして、万一、関東軍が背後から
攻撃してくれば、たまったものではありません。
 
 
ゾルゲは、日本の陸軍が、二正面作戦を捨てたという事実を確認し
本国に知らせ、ソ連最精鋭部隊は、後顧の憂いなく
全軍、欧州へ転戦します。
 
 
さて、欧州戦線における、ドイツの圧倒的な勝利を前提に
米英と交戦状態に入ることに合意した日本の陸軍。
1941年12月2日、御前会議の決定を受け
「ニイタカヤマノボレ」 発信。
「日米和平交渉妥結の公算なし、機動部隊は、予定通り
ハワイ空襲に向かえ」
そして、12月7日、万一にそなえ、作戦中止命令が
発動され得る最後のポイント「D」を機動部隊が通過。
あとは、自動的に、ハワイ空襲が敢行される時を迎えたころ。
現地時間12月6日 極東シベリアから転戦したソ連軍
最精鋭部隊が、前線に投入され、モスクワ前面にて
ドイツ中央軍集団に壊滅的打撃を与えます。
ここに、対米、対英、開戦の前提条件が崩れ
その時、米国へ向けて、機動部隊の矢は放たれ
もう後戻りはできない状況にありました。
 
 
地球規模の絶妙なオーケストラの指揮の下
日本は破滅の戦いを
始めることになりました。
 
 
 
  なお、日本の精神を探求し
  日本民族骨抜き策を実行した
  ハウスホッファー卿の最期は
 
  割腹自殺でした。。。。

 
 
 
 
 

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