藤井真則のブログ

このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHP(リンクをお願いします)をご覧ください。
本ブログは、あまり標準的ではない特殊な治療の普及にあたり、「常識の壁」を破るために、特に分野は特定せずに書かれたものです。「常識とは、ある特定の組織・勢力の都合により強力に流布されて定着したからこそ、常識化した不真実であることが多い」という前提で書かれています。

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2009年01月13日

  

えとせとら

2009.1.12.
 
 
世界最大最強の陸軍国ロシア。
海軍力も、英国に次ぐ二位。
 
こんな超大国に、「極東」(いかにも
ヨーロッパ的な言い方ですが)の島国が
本格的な戦争を挑むのは、当時の常識では
考えられないことです。 
 
ヨーロッパに「ある勢力」が台頭し、それがそのまま
今日の医療産業につながる訳ですが、そこは
ダイレクトに中々、書けない、、、 政治全体の話を
書いております。 
 
ただ、お伝えしたいのは、どんな状況でも乗り越えようと
してきた日本人の智恵です。  
 
がん治療は、単に、「病気を治す技術」
だけでは、どうにもなりません。 
がん治療最前線は、社会全体の問題の縮図です。
それに対して、どういう考え方や、気構えで挑むか、
向き合うか、技術をどう使えばいいのか、ということが大切です。
 
 
さて、ヨーロッパに台頭した「ある勢力」の「活躍」により、
南北アメリカ大陸から、地元の文明は尽く消滅し、
北米に至っては、インディオそのものが
絶滅に近いレベルまで、人口を減らされました。
太平洋に数多存在した文明も、殆どが、消滅します。
今では、オーストラリアやニュージーランドは白人の国であり、
ハワイは、米国となってしまいました。
アフリカにいたはずの黒人が、北米全体に広がります。
それでもまだ、アメリカに連れてこられた人々は、「ましな方」なのです。
「積み出し港」ザンジバルで行われたことは、とても、ここで書く
気になれませんが、「積み出されなかった人々」は、
もっと大変な目に遭わされたのです。
アフリカには、古代から、優れた文化・文明が、多数存在していました。
最近になってやっと、ポチポチ、その圧倒的なスケールをもつ遺跡などが
紹介され始めてますが、まだ、免疫細胞療法よりも無名でしょう。
これらは、「無かったこと」にされたのです。
私が生まれた1960年は、「アフリカの夜明けの年」といわれます。
この年、アフリカでは16ヶ国が独立、
エチオピア、エジプト、南アフリカ、リベリアの4ヶ国に加わり、
20ヶ国となったのです。 未開の大陸に、やっと文明の灯が、
という言い方で、「夜明け」と言ってるのですが、元々、ヨーロッパより
明るかったのに、真っ暗闇に落とされたのです。
 
世界中が、席巻され、「非人間的」な扱いを受ける中で、
エチオピアと、極東の数カ国だけが、毒牙から生き残っていました。
 
 
さて、朝鮮は、日本に対し、軍の進駐を要請しました。
弱体な国力では、ヨーロッパの餌食になるので、清の
保護を求めたのですが、断られたのです。
清は、阿片戦争で、痛い目に遭わされ、
ヨーロッパを動かすものの正体を
見ていましたが、アジアを一つとして、対抗していく、という
ヴィジョンはもっていません。 
 
孫文は、日本へ亡命し、後に辛亥革命を起こして清帝国を
滅ぼしますが、蒋介石も、毛沢東も、いずれも孫文の弟子のような
存在です。 孫文は、単に、清朝を倒すことを目的としたのではなく、
ヨーロッパの魔の手を払い除けるためにも、アジアを一つとしようとしたのです。
そのため、明治天皇の実の息子さんと、二人で、逃げ回りながら、
革命の火を起こそうとしたのです。 ヨーロッパと戦う実力を持てるのは、
日本しかない、あくまで、日本との共闘を考えていたのです。
孫文に限らず、日本がロシアを相手に堂々と戦い、少なくとも
戦術的勝利を得たことは、世界諸民族の希望となったのです。
ヨーロッパの大国に、ヨーロッパ以外の国が初めて勝利を得た!!
興奮と情熱的な悦びが、アジア・アフリカ諸国を駆け巡ります。

マンチェスターユナイテッドに、ガンバ大阪が勝った、等という類の
インパクトとは、次元が違います。 
ところで、この明治天皇の息子さんの奥様が紫禁城の中でご出産されたのが、
中丸薫さんです。 最初、お会いした時から、何者?!?! と、
その迫力に圧倒されましたが、歴史を背負っていることを実感させる方でした。
最近は、なにやら、陰謀物の本を次々に執筆しておられますが、
私は、陰謀物って、
好きではないのです。 
お会いしなくなってから、もう何年も経ちます。
 
話は、朝鮮に戻りますが、日本としては、ついこないだまで、侍が刀を振り回して
いたのに、今、朝鮮へ軍を送る余裕などかけらもありません。 これは、きつい、
と躊躇しますが、朝鮮半島、遼東半島、満州、台湾、小笠原、
そしてマリアナ群島、
この辺りは、「絶対防衛圏」です。 
無理を承知で、朝鮮の要請を受け、軍を
送ります。 
後世、日本の対外侵略のスタートと、言われることになります。
 
清は、台頭してくる日本に対して、「嫌がらせ」を仕掛けます。
やっとこ、巡洋艦を数隻、揃えたばかりの日本に対し、
「戦艦」二隻を投入、威嚇行為を繰り返します。
 
大軍を擁する清国に対し、戦闘を試みた日本は、
どうにか、清国艦隊を撃破し、乃木中隊が旅順港を占領、
満州への橋頭堡を築きます。 (この時の中隊長は、
日露戦争で旅順港攻略を指揮した乃木将軍と同一人物です)
 
そこでロシアが、「退け!」 と圧力をかけ、やむなく、満州から撤退、
折角、占領した旅順港にはロシア太平洋艦隊が駐留します。
 
 
この状況で、座して待っていれば、日本本土さえ占領されかねない。
 
日本は、勝つことは不可能にしても、せめて引き分けを狙って
勝負に出ます。 世界の超大国に、自ら戦闘を仕掛けたのです。
 
シベリア鉄道の時刻表を調べ、実際の列車を偵察し、輸送力を調査しました。
時間の問題で、長いトンネルが開通し、そうなると、
シベリア鉄道が複線化される。
それでは、ヨーロッパから大量の兵員・物資が輸送されるので、
日本に勝ち目はない、
がんが大きくなるのを待っていては結局駄目になる、
そう判断して、今、勝負をかける、
と、決死の覚悟で開戦を決意したのです。 
 
 
蓋をあけてみると。
ロシアは、シベリア鉄道を一方通行にしました。
ヨーロッパ側で、次々に、新しい列車を仕立てては、
兵員・物資を積み込み、
シベリア側で機関車は解体、
木製の貨車は燃やしてしまったのです。
 
 

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