藤井真則のブログ

このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHPをご覧ください。
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2009年01月17日

  

えとせとら

2009.1.16.
 
 
「T字戦法」という言葉をご存知でしょうか。
私より年配の方は、まずご存知でしょう。
 
「日本海海戦で、東郷平八郎司令官は、
T字戦法を用いて一方的勝利を得た」
 
これ実は、後からつくった話なのですが、
意図があった上での作り話ですから、
徹底して宣伝され、映画、小説、TV番組
果ては教科書まで、一貫して、この嘘は
貫かれました。
100年、嘘をつきとおせ、という事だったのですが、
日露戦争は、1904年~1905年のことです。
2005年だったですか、ちょっとウロ覚えですが、
ほぼ100年ぶりに当時の極秘情報が公開され、
今やっと、実態が明らかになってきたのです。
 
 
子供の頃から疑問でした。
自分で検証する限り、T字戦法は成立しないのです。
常識と言われるもの、
特に、執拗に宣伝されるもの、
まず何か裏がある、と、疑ってかかる習性は、
物心ついたころから身についていました。
 
船のサイズを調べ、厚紙を切り抜いて方眼紙に並べ、
船と船の距離、速度、舵を切ってから回頭するまでの時間、
射程距離、射角、発射速度、命中精度、、、、
可能な限り、数字を集め、実際に紙の上で艦隊を
動かしてみました。 幼稚園の頃ですから、漢字を
読み解くのが大変でしたが、なんとか、資料は揃えられました。
図書館で調べたりはしません。 実家は本屋さんですから、
大阪屋、東販、日販、、、 倉庫のような巨大な問屋さんの中を
走り回って、梯子によじ登って探して廻りました。
でも、本の仕事、何十年の猛者に聞くのが一番、手っ取り早かったです。
 
で、どうやっても、T字戦法は成り立ちません。
実際の機動図をみても、T字戦法には見えません。
それと、何故か、当時の具体的な艦隊行動について
記録が曖昧なのです。 
 
ロシア艦隊が、真北へ向かって、一列縦隊で進むとすると、
日本連合艦隊が、東から西へ向かって、やはり一列縦隊で
ロシア艦隊進路前方を横切れば、日本側は全艦の主砲全てと、
やはり全艦の左舷側の副砲全てで砲撃できるのに対し、ロシア側は、
先頭艦の艦首側主砲しか撃てない、というお話なのですが。
 
ボーっと、やられるままに真っ直ぐ進めば、そうなります。
そんなアホは司令官はいないでしょう。
必ず、一方的に不利な状況から脱するよう、機動します。
(ボケッと動いたり、闇雲に動き廻るのではなく、
 作戦意図をもって動くことを 機動といいます。 
 どこで、がんの治療を受けるか探すのも
 機動であるべきですね。)
 
日本海海戦の前哨戦のような海戦がありました。
旅順港に籠もっていたロシア太平洋艦隊が、
ウラジオストック目指して脱出を試みたのです。
沖合いで待ち構える連合艦隊との決戦は必至ですが、
ロシア艦隊は勝つつもりはなく、何隻が逃げ延びれば
それで海戦には負けても、戦争には勝てるので、
多少の損害は顧みず、ただひたらすら、
ウラジオストック目指して走りぬける覚悟でした。
黄海海戦が発生しました。
 
満を持して、連合艦隊は、T字戦法を仕掛けました。
ロシアの司令官は、信じられない光景に、狂喜し、
これで、この戦争は勝ったと確信します。
今まで、日本海軍には、あの手この手で、散々痛めつけられてきた、
あの賢い日本人が、なんで、こんな馬鹿な作戦を
やってくれるのか、ひょっとして罠か?
なんでもいい、こんなチャンスはあり得ない。
 
小躍りしながら、ロシア艦隊は、少し針路を変え、
日本艦隊の末尾の艦の後ろをすり抜け、ルンルン気分で
スタコラと逃げ去りにかかります。
 
これで、ロシアは勝ったも同然です。
日本から遠く離れた、ウラジオストック、
このようなオープンな港を、
24時間ずっと監視し続けることはできません。 
突然、気まぐれに出撃し、ランダムに動き回って、
輸送船いじめをやれば、大陸にいる日本の
陸上部隊は補給を絶たれ、
ロシア野戦軍の餌食となるでしょう。
帝都東京に艦砲射撃の嵐を見舞ってもいいし、
天皇陛下がいる広島の大本営を焼き払う手もあります。
大阪の兵器工場を吹き飛ばせば、
もう、武器をつくれなくなります。
 
一方、日本連合艦隊、、、、
茫然自失、、、、
やってしまった、、、
ちょっと考えれば、分かることなのに、、
ほら、言わんこっちゃない、
幼稚園児、藤井真則君の考察は正しかったのです。
まあ、ここまで一生懸命やったのだから、では済まされません。
植民地支配の魔の手から辛うじて逃れていた
エチオピアと日本は、人類に残された希望の星です。
その一方の星が、今一つ、消えようとしているのです。
 
船は舵を切ると速度が落ちます。
この時、日本艦隊はロシア艦隊と殆ど真逆に近い
針路をとっており、回頭して、ぐっと速度を落とし、
それから増速して追いかけても日没までに追いつくのは
無理でしょう。 ロシア側も、日照時間くらい計算して
出撃しています。 港の周囲は機雷だらけで、実際、
日露両艦隊とも戦艦を触雷により失っています。
日のある内に機雷源を抜け、日本艦隊と遭遇しても、
すぐに日が暮れる、そして、夜陰に紛れ、
なんなら、各艦バラバラに分散すれば、
何隻かはウラジオストックまで辿りつくでしょう。
 
勝負あった、と誰しもが確信したその時。
 
神の風が吹きます。
 
ロシア艦隊旗艦が、突然、全力回頭を始めます。
エエッ、、、!?!?!?
ロシア各艦は、何が起こったのか理解できず、
パニックに陥ります。
そのまま真っ直ぐ走ろうとする艦長、
軍規通り、旗艦に従って回頭しようとする艦長、
前の船が舵を切って速度がおちても、すぐには
向きが変わりません。その間、後続艦が真っ直ぐ走り続ければ、
衝突してしまいます。 挙句、グルグル廻り始めた旗艦は、
味方艦隊中央に突っ込んできました。
もう収拾がつきません。
衝突したら、砲撃を受けるより甚大な被害を招き、
沈没の危険も大です。
もう、日本艦隊どころではない、
味方同士の衝突回避に躍起となります。 
この間、ロシア艦隊を包囲した日本艦隊によって、
各艦個別にボコボコにされます。
何がどうなってるのか、さっぱり分からないまま、
ロシア各艦は、旅順港へ逃げ戻ります。
 
何もしないで神社でお賽銭を投げても、
多分、ご利益はないでしょう。
人智を尽くし、必死に戦い、
それでもどうしようもない時、
天から風が吹くのではないでしょうか。
 
たまたま、一発の砲弾、それもフラフラとポツンと一発
飛んできた、殆ど流れ弾だったようですが、
偶然にも、ロシア旗艦のブリッジに命中します。
一人を残して、艦隊司令官以下、全員即死。
ところが、操舵手一人、30秒ほど苦しんだ挙句に
こと切れました。 舵を握り締め、体
全体で寄りかかって、
バタリと横に倒れたので、蛇輪が全速で廻ってしまったのです。
無人となった艦隊司令部から、全力回頭の指示が出て
しまい、おかげで、日本は敗戦を免れたのでした。

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