藤井真則のブログ

このブログはリンパ球バンク株式会社の社長時代に、会社社長ブログとして会社HP上に掲載されていたものです。ちょうど還暦を迎えるタイミングで社長の責を後任に譲り一時は閉鎖しておりましたが、再開を望まれる方もいらっしゃるため、別途個人ブログとして再掲載するものです。ANK療法という特定のがん治療に関しては、同法の普及のために設立されたリンパ球バンク株式会社のHPをご覧ください。
本ブログは、あまり標準的ではない特殊な治療の普及にあたり、「常識の壁」を破るために、特に分野は特定せずに書かれたものです。「常識とは、ある特定の組織・勢力の都合により強力に流布されて定着したからこそ、常識化した不真実であることが多い」という前提で書かれています。

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2020年09月19日

  

えとせとら

今シーズンのプロ野球セ・リーグも阪神タイガースは巨人ジャイアンツにまるで歯がたたずボコボコに負け続けています。 

 

4勝12敗

 

東京ドームでの対戦に限れば、1勝8敗 です。

 

内容的には拮抗していたり、むしろ勝ちパターンにみえるような試合もありますが、結局、これは負けることになるのだろう、という勝てる気がしない雰囲気が覆い尽くしています。

 

なぜここまで一方的に負けるのか、については実際にプロ野球でプレーをされた方々が解説しておられ、また、当たり前のことを書いてもこのブログらしくないですから、普通のコメントはやめておきます。ところが、案外、当たり前のことの割には言われていないなあ、と感じるのは以下の数字です。

 

 

巨人 76試合消化時点 47勝25敗 4引き分け 貯金22

阪神 77試合消化時点 38勝35敗 4引き分け 貯金 3

 

9.5ゲーム差

 

これだけみれば目も当てられない差であり、これでも一応、阪神は二位なのですが先ほどの直接対決による結果(4勝-12勝)、つまり巨人は阪神戦で貯金8、阪神は巨人戦で借金8ですので、これを差し引いた両者直接対決以外の他の4球団に対する対戦により

 

巨人の阪神以外4球団に対する貯金14

阪神の巨人以外4球団に対する貯金11

 

あんまり差はないのです。

 

 

巨人は阪神1球団から貯金の36%を荒稼ぎ、阪神は他の4球団から稼いだ貯金を巨人戦だけでほぼ吐き出しているということです。

 

 

直接対決の試合の流れをみていると、なるほど巨人は勝つべくして勝っているのであって、細部に及ぶ作戦の緻密さや勝負の駆け引きで巨人は阪神を圧倒しており、100試合やっても90試合くらい勝ちそうな差を感じます。 細かくは多くの解説者が様々、説明されている通りでしょう。 ところが他球団との対戦はほぼ互角に近いのです。 阪神にとってはどうにも勝てない分厚い巨人の壁は、他球団にとってはそこまでではなく、阪神戦とさほど変わらない難敵度になっています。

 

戦力的にはそれほどの大差はないのでしょう。

 

この異常な歪みはどこからくるのでしょうか。巨人を率いる原監督が今年は阪神を叩けば優勝できると踏んで、徹底した阪神潰しを仕掛けてきたからでしょう。巨人の弱点である先発投手の層の薄さをカバーするため、開幕以来連勝街道を驀進しているエース菅野と、新人ながら白星を重ねていった戸郷を阪神戦にぶつけ、他の先発投手はなかなか勝ちがつかず、阪神戦を抑え込んだと思ったら次のカードはいきなり先発投手が5~6点失点するなど結構、打ち込まれたり、先発投手の一軍と二軍の入れ替えが激しいのですが、3戦ずつ同じチームとぶつかる日程で、稼ぎ頭の二枚看板を集中的に阪神戦にぶつければそれだけでかなり有利になります。ゲーム差が開き、趨勢が見えてきてからは戸郷を阪神戦からはずし、菅野が投げないカードの初戦に回すローテーションを組みなおしました。逆に一体何を考えているのか、もうここから逆転は無理でしょう、というほど差が開いてからやっとこ阪神は巨人戦に高橋、青柳、西をぶつける様にローテ再編を行いましたが、わざわざ低めに徹した微妙なコントロールで打ち取る巨人向きと考えられる秋山の先発を飛ばし、体力不足と故障不安の高橋を中5日にする、など、いちいち妥当性に疑問を感じる采配です。そして蓋を開けてみないとわからない、むしろ球威ある速球をまともに撃ち返してくる能力が一番高い巨人に藤浪をぶつけて滅多打ちを食らいました。 巨人に勝つことに集中しない阪神に対し、原監督は開幕カードでぶつかる阪神の新外国人を潰す策として、左投手に弱いボーア対策に徹底してボーアに投げ、打ち取るイメージで練習を重ねた左投手の高木を用意し、ランナーがたまってボーアに打席が回った時だけワンポイントでリリーフ投入し、三振に打ち取りました。 ひっぱりが多いボーアに対するボーアシフトも他球団より徹底していました。右打者に対する被打率1割8分、左打者に対する被打率3割超の阪神青柳投手にはわざわざ左投手をぶつけて1番から9番まで左打者を並べました。主砲の右打者である坂本や岡本を休ませてまで、です。この投手はこう打つ、この打者はこう抑える、徹底した相手選手へのマークとチーム内の戦術理解の浸透が図られ、まるで特殊工作部隊と民兵集団が戦っているような印象を受けます。本来、阪神こそ巨人戦に勝つことに集中すべきところ真逆になっています。

 

 

さて、2年に1度は優勝する巨人と十数年に1度しか優勝しない阪神。対戦成績も圧倒的に巨人が勝ち続けているにもかかわらず、この2球団の対戦は伝統の一戦と未だに言われます。これには歴史的な背景があります。

 

セ・リーグのリーグ優勝回数を比べると、巨人37回に対し、阪神はたったの5回です。しかも、広島と中日が9回ずつ、ヤクルトが7回で、阪神よりも優勝回数が多い球団が巨人以外に3球団もあるのです。全部で6球団しかないわけで、阪神より優勝回数が少ないのは横浜の2回、これだけです。日本一となると巨人22回に対して、阪神は1回だけ。 12球団の中で、創設以来の歴史が浅い楽天でも1回日本一になっており、プロ野球創設以来の歴史があり1万試合以上、実は日本のプロ野球球団で総試合数1位である阪神は日本一をとった回数が「12球団最低」なのです。横浜と中日は2回、広島3回、ヤクルトは5回日本一になっています。総勝敗数でみれば、巨人が5割8分台、阪神と中日が5割1分くらい、他の3球団は4割台と分が悪くなります。優勝はしなくても巨人が抜き出て、阪神と中日が2位争いというのが長い歴史の中での平均的な位置になります。

 

第二次世界大戦勃発前夜のこと、表向き、国威発揚という名目で米大リーグの現役主力選手を日本に招き、日米野球が開催されました。2シーズン合計16試合が開催され、日本は0勝16敗と完膚なきまでに打ち負かされたわけで、これのどこが国威発揚なのか意味不明ですが、日米野球を企画したのは今日でも現存する日本の大手マスメディアであり、第二次大戦前から日本人に米国には勝てないというコンプレックスを植え付けるのが目的だったのかもしれません。そのマスメディアは戦前も活躍しましたが、戦後も米軍の指導の下、大勢力となり、GHQの意向を日本国民に周知徹底する役割を担い、安倍政権下でも御用新聞として機能してきました。 日米野球では、一応、1試合だけ沢村栄治投手がニューヨークヤンキースの主砲ベーブルースから三振を奪ったり、メジャーリーガーをきりきり舞いさせ、大いに盛り上がりました。結局試合自体はルーゲーリックに打たれたホームランによる失点のみで1-0で負けるのですが、負けたとはいえ、この時ばかりは大いに国威発揚になったと言われています。今日でも「沢村賞」という大変な栄誉とされる賞が大活躍した選手に授与されます。 では、この「米軍」に一泡吹かせた栄誉ある戦士は徹底して国威発揚に利用されたのかというと、一応、沢村投手が大活躍した1934年夏の日米野球から半年、大日本東京野球倶楽部が創設されると、沢村投手も契約し、「東京巨人軍」のエースとして活躍することになります。あくまで「国威発揚」ですから、「軍」なのです。翌1935年、株式会社大阪野球倶楽部が創設され、野球チーム「大阪タイガース」が編成されます。4年後にはドイツ軍がポーランドへ侵攻、英連邦軍がポーランドとの軍事同盟に基き、ドイツに対して宣戦を布告し、第二次世界大戦が勃発します。世界大戦の最中もプロ野球は継続され、敗戦を迎える1945年まで実施されました。 あの米軍をやっつけた軍神沢村栄治投手は英雄として君臨し続けたのかというと、これが全くの真逆で、一方的にオーナーの読売から契約を破棄され、それもかなりの非礼があったと伝えられています。そして戦場に送り込まれては負傷、手りゅう弾を投げさせればすごかったという話は有名ですが、それは真実なんででしょうね。160キロ投手ということですから。結局、外地へ向かう輸送船に乗船中、米潜水艦の雷撃を受け他界されます。野球は敵性スポーツとして、ストライクと言わずに「よし!」だったですかね、ちょっと記憶がゆるいですが、ともかく英語は使ってはいけないので、用語も無理やり日本語に変えさせられましたが、米軍をやっつけた英雄なわけですし、プロ野球の試合はやっていたわけですから、それならとことん、沢村栄治投手の軍神化をやりそうなものです。実際には第二次世界大戦を指導した日本の軍部は、日本が壊滅的な敗北を迎える様に誘導した形跡があります。それは、別の機会に書くことにしましょう。 少しだけ一例を紹介しておくと、大日本帝国海軍連合艦隊司令部は参謀まで含め米軍のスパイだったと考えないと辻褄が合わない「乙号事件」というのがあります。本土防衛の要、絶対防衛圏であるマリアナ群島を防衛する作戦要領をまだ味方の部隊にも説明していない時期に、連合艦隊司令部参謀団が、この最高レベルの機密書類を丸々、米軍に提出したという如何なる売国奴も仰天するというトンデモな事件です。日本軍の作戦を日本軍より先に詳細まで知り抜いた米軍は徹底した罠をはり、米空母部隊vs日本空母部隊+マリアナ群島基地航空隊 という合計戦力では日米航空兵力互角の状態から始まったマリアナ沖航空海戦において、米空母機動部隊は、日本の航空部隊を完膚なきまでに壊滅させ、世にいう「マリアナの七面鳥撃ち」という最高度の侮辱と軽蔑をもって呼ばれるワンサイドゲームを実現します。クリスマスが近づくと「鈍くさい」七面鳥をみんな並んで、銃でかたっぱしから殺しまくり、丸焼きにしてパーティーをするので、いとも簡単に殺せる安易な獲物という意味で使われます。「赤ちゃんアザラシを殺す時」という言い方も使われます。 マリアナ沖航空海戦は、野球でいえば100-0 で負けたか、30試合連続で負けたような救いようのない一方的なスコアで破れ去りました。 日本海軍の航空隊の大半がこの戦いで部隊としての歴史を閉じ、つまり全滅し、その後、日本の艦隊航空部隊は二度と再建されることはなく、一度だけ空母に着艦できないパイロット若干を載せただけの空母部隊が囮に使われた以外、空母機動部隊が出撃することもありませんでした。そして、この時、米軍に占領されたサイパン島からB29の大群が、テニアン島からは原爆搭載機が日本を攻撃することになります。よく米軍は日本軍の暗号を解読したと言われますが、米軍は一度も自力で日本軍の暗号を解読したことはありません。シンプルな陸軍の暗号は全く読めませんでした。複雑な海軍の暗号はたしかに解読はしましたが、「暗号表」を「もらった」ので、本物の暗号表を見ながら解読していただけです。米軍は「パープルブック」と呼んでいましたが、表紙が紫色でしたので実物を見たままそう呼んでいたのです。暗号電文を解読したのであれば、日本海軍が使っている暗号表の表紙の色まではわからないはずです。 それでも作戦要領詳細全文を無線でうったりはしませんから、暗号解読だけでは限界があります。もっと直接的に作戦要領のコピーではなく、「本紙」を日本軍の前線部隊より先に、日本軍上層部からもらっていたのです。これでは勝てるわけがありません。「乙号事件」というのがあるならば「甲号事件」というのもあるのですが、これもかなりトンデモな事件であり、如何にして日本海軍はボロ負けしたかったのかがよくわかる事件なのですが、戦況全体への影響としては何といっても「乙号事件」が決定的です。

 

第二次世界大戦は概ね、こういう戦いでしたので、救いようのないほどボロボロに日本は負けてしまいます。比較したら怒られるかもしれませんが、阪神が巨人に負けるどころの比ではありません。この全体像で捉えれば、メジャーリーガーにボロッボロに破れ散る「必要」があった日本チームの中で、一人だけ気を吐き、名だたるメジャーリーガーを次々にねじ伏せた沢村栄治投手は想定外の英雄であって、その後、率直に申し上げて、徹底して過酷な戦場に送り込まれて迫害されたのも、その時代の権力の圧力という風に見えてしまいます。

 

メジャーリーグにしてみれば、なぜわざわざ一流選手たちを相手にもならない日本の野球チームをボコるために送り込んできたのでしょう。ジャンボ機に乗って10時間ちょっと、ではありませんからね。かなりの英断だったはずです。メジャーチームのキャッチャーの一人は米軍のスパイであったことが知られています。わざわざ試合の合間にといっても、本気で練習しないと勝てない相手ではありませんが、日本の各地の写真を撮り、レポートを送っているのですが、記録映像を見たことがあります。日本は近代的な航空機が空を飛び、その下に西部開拓時代のような町が広がり、ものすごく違和感のあるものが混在する国であると驚いたようです。そして、「彼らの町は火をつければ燃えやすいものでできている。」と重要なポイントを町家や町工場の写真とともにレポートしています。沢村栄治投手が登板したのも静岡の球場ですが、メジャーリーガースパイは富士山と帝都東京の間の写真を多く撮っています。遠くから目標になる富士山。その上空から帝都に向けて流れる高速のジェット気流。これに乗って一気に帝都を爆撃するルート沿いの目標物などを記録しています。実際に、10年後、B29はこのルートで東京大空襲を実行することになります。

 

プロ野球は世界大戦に向かう嵐の前夜、両軍の思惑が絡み合う状況の中で生まれました。

 

国策として編成された巨人軍に対し、「そんなんおもろないやん」と、市民の発意で結成された貧乏市民球団、結局、町の中小企業である阪神が運営母体を受けたわけですが、反中央権力の象徴として生まれた大阪タイガース。両者は最初から好対照な背景をもちました。これでもか、と叩かれれば叩かれるほど、この野郎と、反骨心に火がつき、阪神ファンはなんぼ愕然とする敗戦を目の前にしても、すぐに立ち直り、また向かっていくのです。永年、阪神ファンを続けられる条件は一つだけです。直ちに立ち直れる精神力をもっていることです。

 

戦後、しばらくあまり人気のでなかったプロ野球ですが、TVの普及と共に、所得倍増計画にのって「巨人、大鵬、卵焼き」、日本人はみんなおんなじチームや選手を応援し、お弁当はみんな卵焼きで(今でもホテルの朝食定番ですが)没個性でただひたすら工場で物を作る機械となる、こういう米軍占領政策に則り、マスメディアによる全国一色の文化に染める一大プロパガンダが徹底的に展開されました。王、長嶋、を率いる川上監督は必ず勝つ、それも徹底した組織プレーで自己犠牲の精神で、「10人野球」で相手を蹂躙する巨人が、「野球は一人でもできる」個性派集団の寄せ集めである阪神を最後は必ず叩きのめす情景をお茶の間にTV電波が送り続けたのです。

 

(ちなみに、10人野球というのは審判も巨人の味方、体制側という意味で揶揄られた言葉です。一人でもできる、は阪神のエース江夏投手がノーヒットノーランを達成してもスコア0-0で試合が終わらず、延長になってから自分でサヨナラヒットを打って勝った時の名セリフとされています。本人は、そんなことは言っていないようですが、如何にも阪神タイガース文化を象徴するような逸話です。)

 

かくして、全国の大半が巨人ファンで、自民党に投票する人々。そして、全国どこにでも少数派として阪神ファンと社会党に投票する人々という二極構造が出来上がっていきました。

 

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